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2017年4月9日日曜日

Me perdi en el Eden フィクションとノンフィクションの境界を越えて


一九九二年一月アルフレド・クリスティアーニ大統領とFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)は国連の仲介により、メキシコシティにて和平協定を結ぶ。同時に設置された国連真相究明委員会のその後の調査報告によると、人権侵害の五%はFMLN側が行ったものであり、レーガン政権、ネオコンが認めなかった一方の九〇%はエルサルバドル軍、死の部隊が行ったとしている。残りの五%については実行者が不明である。死者七五〇〇〇人以上、行方不明者一二〇〇〇人。
二八年たって世界は進化したのだろうか。科学、技術は蓄積を足場に着実に進歩したのに、人類の営みは時に逆行している様にもみえる。グローバリズムと新自由主義経済に酔う政治、経済のトップたち。富む者と貧しい人々の格差は少しは縮まっただろうか。戦争、内戦、テロリズムは消えたか? エルサルバドル一国をみても内戦は終わったが新たな国家暴力、マラスの麻薬戦争が荒狂う。
 一九八九年という年を振り返ると、ソ連のアフガニスタン撤退、天安門事件、ポーランド連帯勝利、ルーマニア独裁政権崩壊、ベルリンの壁撤去、米ソ首脳会談など、二〇世紀の世界史の大転換を示す出来事が連続して起きたことに驚く。あの年、新しい文明の到来をわくわくしながら夢見た人たちがいるに違いない。そして日本では昭和から平成へバブル景気に沸いていた。
そんな時、“僕”は地球の反対側の四国ほどの小さな国にたどり着いたのだった。アメリカ合衆国、メキシコ、グァテマラと経済規模の縮小を見ながら南下し、たどり着いたところは、経済は破綻し国土は戦場と化すエルサルバドル・・・




             迷い込んだエデン 一九八九

        仲矢 太三郎

 

             1
 


 一泊一ドルをきるこの安ホテルの、水しか出ないシャワーを浴びて、屋上へ上がる。夜の闇にバズーカの火が尾を引き、自動小銃の音がパキパキとこだまして花火を観てるようだ。早々にこの国を出よう。 やはりここには立ち寄るべきではなかった。ラスベガスからなけなしの金でメキシコに辿り着き、日系の観光会社でガイドの仕事をし、スペイン語も上達した。半年働いて、なんとか南米を廻ってブラジルまで行けるぐらいの資金を貯めた。
  メキシコ人の友人を通じて知り合った、この国の亡命者から立ち寄らない方がいい、と忠告はされていた。だいたい僕は人の意見を聞かないところがあり、いつもそれで失敗を繰り返す。そして今、中米エル・サルバドルの首都サン・サルバドルのセントロ(ダウンタウン)の格安ホテルにいる。
  ここへ着いて数日セントロをぶらぶら歩いて、腹が減ると路上の屋台や、安食堂の飯を食ってるせいか、お腹の調子もあまり良くない。メキシコで読んだガイドブックには、不衛生なところで食事をすると、熱帯だけに日本ではもう聞かなくなったA型肝炎などの病気にかかるケースもあり、要注意と書いていた。
  翌日、少し別な場所へと決めて、国立エル・サルバドル大学まで行ってみた。ここには軍の兵士もいないだろうと思ったら、全ての門で自動小銃を肩に掛けた兵士が、出入りする学生のバッグや身体チェックをしていた。せっかくここまで迷いながら辿り着いて、引き返すのも悔しい。怪しいものは持ってないし、サングラスをかけて入り口に並んだ。
  チェックを受け校内を歩き、学生にどこか座ってコーヒーでも飲めるところがあるか聞くと、心理学部の近くの広場に連れて行ってくれた。キオスクを取り巻いて座れる場所があり、賑わっていた。コーヒーを注文して周囲の建物の壁に描かれている文句を訳していると、隣にいたに挨拶され、どこから来たんだい?と聞かれ話しこんだ。ラテンの国はすぐ友達ができ、あまり寂しい思いはしない。働きながら通ってるという、学生にしては少し年のいったセルヒオは親切にも構内を案内してくれるという。
  大学の建物の壁という壁には、民主化要求のスローガンや、FMLN(ファラブンド・マルティ・民族解放戦線)の頭文字が書かれている。暗殺された反体制派の指導者、神父、作家、学長などの肖像も描かれていて、彼がひとり一人について説明してくれる。そしてそれぞれの講堂には、民主化運動の道半ばで殺されたリーダーたちの名がつけられていた。ずいぶん物騒な国に来たものだ。中産階級のいるのどかな場所だと思って来てみた国立大学にしてからこうなのだから、やはり出国は早めた方がいい。そんなことを思いながら、構内にあった書店を兼ねた文具店で、セルヒオが勧めてくれた暗殺されたエルサルバドル人の詩人の本と、ギリシャ神話の知の女神アテネが表紙のノートを買い、またキオスクに戻りコーヒーを二つ注文した。しばらく話をしてセルヒオに礼を言い、暗くなる前に早々に帰ろうとしたら隣接する広場が活気づいてきた。集会でも始まろうとしているのだろうか。
  セルヒオがついさっきまでの真面目な顔付はどこへやら、何故かうきうきしながら言う。
「君はまったくついてるねぇ、これから新入生歓迎のフィエスタ(パーティー〉があるんだ。それに門を出るのはみんなと一緒の方がいい」
  そしてどこかから白い紙を持ってきて、一応用心のためと僕の買った本の表紙をカバーしてくれた。
  チェ・ゲバラの壁画の前にちょっとした舞台が出来上がって、そこへ実行委員代表が上がり挨拶した後フィエスタが始まった。農民や職工たちが搾取に抗議して弾圧され、最後に武器を取るまでの短い無声劇が演じられた。だが最後のシーンで主人公は叫ぶ、“ビバ ルーチャ アルマーダ!”“武装闘争 万歳!”それに観衆も呼応する。“ビバ!”兵士たちは門から中には入って来ないけど、頭のすぐ上を軍のヘリがバタバタと旋回している。こんなこと叫んで大丈夫なのだろうかと心配になってくる。パーティーという甘い言葉に惑わされて居残ったことを後悔しだした。
  “俺たちは軍の包囲なしで学びたいのだ!”とシュピレヒコールがあがる。どうも僕は早々に引きあげた方が良さようだ。そう思うと同時にだれも帰ろうとしないので、兵士たちが検閲している門を一人で通りたくないなと逡巡していると、音楽が流され、みんなもそれに合わせて歌いだした。それから使い捨ての紙コップに簡単な料理とジュースが配られ、隣にいたオスカルという青年が僕の分も持ってきてくれた。さらにサルサがかかりみんなカップルになって踊りだす。セルヒオはもう相手をみつけて踊っている。辺りは暗くなってきた。こうなるともう最後までいて楽しむ方がいいに決まっている。ラテンの気安さか、オスカルはセントロだったら同じ方角だから一緒に帰ろうと言ってくれた。彼はここの何人かの学生に英語を教えたり、アメリカやオーストラリアの記者にスペイン語を教えたりしてわずかな収入を得ているらしい。

 

              2

 

仕事を辞めて日本を出てからあちこち回り、アメリカで金が底をつくとニューヨークで引越し屋や、日系企業の雑用の仕事をして、週末バスで二時間半ほどのアトランティックシティーに通い、ギャンブルをやる。そんな自堕落な生活をしているうち、僕はカードゲームに魅せられのめり込んでいった。貯めた金でラスベガスに行き、プロのギャンブラーを目指した。
  カジノでよく会うメキシコ人やアラブ人の、小銭を稼ぐ自称ギャンブラー達とも仲良くなり、彼らから教わったものと、自分なりに積み重ねた必勝テクニックと勝負勘で、起伏はあったものの順調に資金を増やしていた。しまいにはカジノホテル側から部屋を与えられて、一定時間カードプレイさえすれば、宿泊代もホテル内のレストランもフリーのVIP待遇になる。
  一緒に安宿をシェアしていた友人達からは、小刻みな勝ち逃げがやりにくくなるからと反対されたのだが、僕はもう小銭稼ぎもファーストフードにも飽きていた。負ける気がしなかったし、少しずつ張る額も増やしていく。二五ドル賭ければ五〇ドルになり、一〇〇ドル張れば二〇〇ドルになる。そしていつか大きな勝負がしたかった。
  豪華なカジノホテルに二ヶ月以上もフリーで滞在し、そうそうせこいギャンブルも出来ない。勝ち負けを繰り返しながら、一度どこかで区切りを付けたくなっていた。ホテルで毎夜繰りひろげられる、世界最高レベルのショーにはトンと興味なく、ただ旅に出たくなったせいもある。
  ここ二週間ほど資金の伸びは止まり、むしろ僅かながら右肩下がりになっていた。目標額まではまだ届いていない。
  大勝負を次の日に定め、みんなを高級日本食レストランに招待した。友人達と笑顔で飲み食いしてるあいだも、何故か長老のアリだけは静かだった。楽しんでる他の仲間との会話から外れ、アリと目が合うと彼は僕に忠告した。
「いいか、ふとし、可能性が半分、勝てば賭け金が倍になるギャンブルほど恐いものはない。倍々方式でやっても逆が十数回続く時だってあるんだ。もしも悪魔がテーブルに降りたと感じたら、すぐにそこを離れろ。それが出来なきゃ、掛け金を思いっきり下げて流れを待つんだ。忘れるな」
  この数十年ギャンブルと共に生きてきた初老のアリを、僕は一番好きだったし、お手本にしてきた。だが稼ぎ頭になって華やかなホテルの生活を送るようになった今、彼の、生活はできているが、質素で大金と縁のない姿と、自分のギャンブラー像をダブらせたくなかったのだった。
「決して無理をするな。資金さえ残せば、勝負はまたいつでも出来る。決して全てをつぎ込むような愚はおかすな。熱くならず、いつも氷のようなギャンブラーでいろ」
  ・・・・・・悪いがアリ、俺が目指してるのはあんたのようなギャンブラーじゃないんだ、と聞き流した。
  次の日早朝、僕はまだ誰も座ってない、一般のプレーヤーを排除したハイビットルームに、買っておいた新しい服を着て一人入って行った。

 

               3

 

地方都市に取材旅行に行ってる数日、オーストラリアのフリーの記者、トレイシーから留守番を頼まれたアパートにやって来た。キッチンもあるので快適だ。市場で買ってきた材料で久しぶりに自炊して腹一杯になると、そのあとコーヒーが飲みたい。
  エル・サルバドルの一般的なコーヒーの淹れ方は、湯を沸かし、沸いたらそこへ豆を挽いた粉を入れ、かき回して火を止め蓋をする。そして粉が全部しずんだらその上澄みを飲む。これがなかなか美味い。窓を開け広げて風通しを良くしても、僕のホテルと違いここは静かでくつろげる。あと一週間もいたらこの国を出てさらに南に行こう。これからの旅を想うと、心はもうここを離れ見知らぬ国の大地を駆け巡るのだった。
  けたたましいチャイムが鳴って僕は我にかえった、もう外は暗くなりかけている。誰だろう?
  ドアを開けると、そこにはまだあか抜けしない若い女が立っていた。以前トレイシーとここの部屋をシェアしていたという、カルロスの友人で彼を訪ねて来たのだという。彼はもうここには帰ってなくて、またアメリカ合衆国に仕事をしに戻るって言ってたらしいと伝えるが、少々気落ちしたようでなかなか帰ろうとしない。こっちもそれじゃあ!と言ってドアを閉められない。淹れたばかりのコーヒーの香りがドアまで漂ってくるので、よかったらコーヒーでも飲んでいくかと言うと、嬉しそうに頷くので中へ入れてあげた。女の子とお茶しながら話をするのだからまんざら迷惑でもない。
「カルロスがアメリカに行くことは知らなかったの?」
「行くのは聞いてたけどもっと先だって言ってたから、彼が友達と、私が下宿の大家の店を手伝ってるとき来て、私がアメリカに行きたいことを知ると、連れて行ってやってもいいって言うから・・・・・・」
「どうかしたの、もしかして何かだまされたの?」
「ううん、何でもない、もういいの。あっ私、レイナ、レイナ・エリザベスって言うの、よろしくね。あなたは?」
  レイナはスペイン語で女王、エリザベス女王。
「ふとしと言うんだ、よろしく、君は女王様だね」
  僕は年を聞かれたので二九歳と言うと驚いて、子供は何人と聞かれ、まだ結婚してないと答えると不思議そうに見ている。ここでは僕の年では結婚してなくても子供がいても普通なのだろう。日本のことはテレビや雑誌かなんかで見て、中国や韓国と混同しながらもちょっとだけ知ってていろいろ聞かれ、話をして大分打ち解けたあと彼女は自分の身の上を話し出した。
  男の子が一人いて今サンタ・アナ市の親元にいること、でもその子には会うことが出来ない。どうしてと聞くと、悲しそうに、その子を身ごもったとき恋人は自分を捨て、どこかへ行ってしまった。もともとその男との交際を嫌ってた父親はとても怒り、出産後勘当されてしまった。その後赤ちゃんには、なかなか会わせてもらえない、もう四ヶ月会っていないと言う。
  なんとか父親と和解し、信用を取り戻すために仕送りしたいから首都に来たのだが、自分が暮らすのがやっとだと言う。家具を作る工場で、朝八時から夕方六時まで、週六日働いていて、昼食は付いているが給料一八〇コロン(三五ドルほど)、それに大家の店も時々遅くまで手伝う。彼女の話とその顔を比べて何歳ぐらいなのだろうと思い、年を聞くと十八と言う。僕は驚いたがそういえばまだ子供っぽいところがある。日本では友達とあんみつでも食ってる年頃だ。彼女を取り巻く状況は厳しいが彼女なりに懸命にがんばっている。自分の十八の頃を思うといかに恵まれていたことだろう。
  部屋の空気が重くなる、もう遅いので送っていくことにした。歩きながらレイナが言う。
「私、アメリカに行って仕事したいの、この国をを出たい」
「でも君にはここに子供と家族がいるじゃないか、きっと後で後悔するよ」
「もちろん永住じゃなくて、何年か働いて子供に仕送りして、お父さんにも仕事につかう車を買ってあげたいの、この国で休みなしに働いたって貯金も出来ない。私のような女にはここではチャンスなんてないのよ」
  でもアメリカに入国するのは簡単じゃないよ、国境から南の人々には厳しく入国制限しているからね。コヨーテ(不法入国斡旋業者)に頼んで不法に行くにしても、けっこう金がかかるし、彼らにだまされたりする。国境でアメリカの警備隊に撃たれたり、トラックの荷台に詰め込まれて脱水症や窒息で亡くなる人も多いんだ。一番危険なのは不法入国者を狙う強盗団だよ。襲われてすべて奪い取られ、若い女は人身売買されるともいう。もう多くの人が命を落としてる。僕がアメリカやここで知り合った人からも、家族の中にそういう被害者がいることを聞かされたんだ」
「そのことは私も聞いたことあるわ。だから今ね、お店のお客さんの知り合いでアメリカ大使館に出入りしている人がいるからって、頼んでくれてるの」
「その方がいい。だけどうまくいくといいね」
「着いたわ、ここでいいわよ。私、あの店の奥に下宿してるの。それじゃあ、ありがとう。今日はいい日ね。楽しかったわ」
「僕もだよ、さようなら」
  帰りかけた僕を止めて彼女は言った。
「ねえ、明日も会えない?明日はすこし早く仕事あがれるから」


                                           つづく

 

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