Translate

ラベル 体験記小説 迷い込んだエデン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 体験記小説 迷い込んだエデン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年10月21日土曜日

Me perdi en wl Eden 小説


              ⒗

 

この国、このアメリカ大陸にレイナみたいな女が何人いるだろう、それでも自分が知り合った一人の娘が今、前に一歩踏み出そうとしている。そのことが何かとても大きな事件のような気がしている。たとえ嵐の夜に灯る、ちっぽけなロウソクの火のようであろうとも、懸命に守らねばならぬもの。
  公園に着くといつも少し遅れるレイナがもう来ていて、テーブルのある一角のいすに座って何か書き物していた。そっと近づいて声をかけると彼女をびっくりさせてしまった。
「まあ驚いたわ!あなたったら子供みたい。ねえ、それよりいよいよ私、おもい切って学校行くことにしたの。昨日工場長に頼んで、水曜と土曜の三時からあがれるようにしてもらったわ。しぶしぶだけど他の日に時々残業するならいいって」
「おめでとうレイナ!そりゃあいい。いつまで支払わなければいけないの?」
「明後日まで、実はね、日曜日におばあちゃんが帰り際に一〇〇コロンくれたの。あなたの八〇コロンは給料日でいい?そしたらこのお金で手付を打ってあとは少しづつ払えるか聞いてみる。だめだったらもう一つ仕事をするなりして、何とかなると思うわ」
「レイナ、美容師の勉強に集中するんだ。授業料は僕が出す」
「ありがとう、でもまだあなたには借りてるのよ。それは出来ないわ」
「いいかい、想像してごらん。実は君には小さい時、離れ離れになった兄がいて、そいつはアメリカ合衆国に不法入国してたんだけど、先日チョット稼いでこの国に帰って来て、探してた可愛い妹をやっと見つけだした」
「・・・・・・妹じゃなくて、数年前に離れ離れになった恋人がいて」
「そっ、それでもいいけど・・・・・・」
「ありがとう、本当に借りていいの?」
「もちろんさ」      
「じゃあ、一つだけ約束してくれる!美容師になれたら、あなたのそのきれいな黒髪を私に切らせて」
「うれしいなー、なんだったら直ぐにだってかまわないよ。ちょうど切りたいと思ってたんだ。レイナの練習にいいね、切ってよ」
「ダメ、私がちゃんと切れるようになってから。それまで待って、あなたが私の最初のお客様ってもう決めてるの」
 僕のことを大切に思ってくれてることが嬉かった。
「ねえ、見て」
と言ってレイナはノートを見せた。そのノートは真新しい紙と印刷剤の放ついい匂いがした。表紙の下には彼女の氏名が書かれていて、その隣に僕の名前が書いてある。FUTOSHCとなっていたのでFUTOSHIと訂正する、彼女は文盲ではないがスペイン語を完全に習得出来ていないのだろう。この国の文盲率の高さを考えれば自然なことだ。セルヒオのいうには、若い兵士達の大多数も文盲だという。
  最初のページをめくり、レイナが言う。
「あなたの名前をここに日本語で書いて」 ひらがな、カタカナ、漢字で書いて、レイナの名も書いてあげた。そして漢字が一つ一つ意味を持ち、幾通りかの発音があり、その数を言うとびっくりする。
「日本人はなんて頭が良いの!」
「全部知らなくてもいいんだよ。僕も読めても書けない字がいっぱいあるし」
 レイナは日本語で書いた自分の名をまねて楽しそうだ。それから日本人が好きな物語を何か聞かせてとねだった。“鶴の恩返し”をしてあげるととても気に入ったようだ。
「つるは可哀想・・・・・・。その男とずっと一緒に暮らしたかったのよ」
と、ため息をつく。
「これが西洋の神話や物語なら、魔女の杖一振りで、つるは人間に変わることが出来たんだけどね。日本のは違うんだ」
「ねえ、次に会った時、別の話もしてくれる」
「もちろん、じゃあ次は浜辺でいじめられてた亀をたすけた若い漁師の話をしてあげる」
「えっ、どんな話?少し教えて」
「亀はお礼にその若者を海の底の楽園につれて行くんだ。そこには美しいお姫様がいて、若者は時の経つのを忘れてしまうんだ。今日はここまでだよ」
「ああ、楽しみだわ、きっとよ!」
  見つめるレイナの瞳がキラキラして悲しくて美しかった。

 

               ⒘

 

バスはオシカラ村の中央広場に着いた。想像出来たにもかかわらず,着いて驚いたのは兵士の多さである。僕らは早くも計画に悲観的になってしまう。とにかくこの広場は目立ち過ぎるので、とりあえず、すぐに人目のつかない所へ行ったほうがいい。それでなくても二人は白人と東洋人で目立つ。観光で外国人が来るはずもない場所なのだから。急いで見通しのきく広場を離れて遠ざかりながら、食堂かカフェを探すが、そんなものがここにありそうもない。通りすがりの村人に聞いてみると、さっきの広場の屋台以外にはないが、この先の雑貨屋で簡単な食事を出してくれる所があると言い,親切にも案内してくれた。
 店に入りセニョーラに何か食事が出来るか聞くとOKだと言うので、やっと荷物を下ろして簡素なテーブルにつく。出してくれたものをすきっ腹にかき込んで、インスタントしかないコーヒーを注文して、一服しながら店のセニョーラと世間話をした後、何気なくこの村から先へ行く交通手段があるか聞いてみた。それはもう、ここ七,八年前からないと言う。そして歩いて行くにも,橋が破壊されてるのでトロラ川を渡らなければならない。ところが今は雨季なので川は水量が増し二〇メートルから三〇メートルぐらいの川幅になってるはずだと言う。
  トレイシーがバッグの中をゴソゴソやっていたかと思うと、情けない顔をして地図がないと嘆く。さっきの検閲の時に没収されたのかと聞くと、そうではなくアパートに忘れたようだ。まあだいたい頭に入ってるからと強がるが、もともとあいまいだった計画は、ここへ来てぐちゃぐちゃになってきたような気がする。おまけにトレイシーは泳げないと告白し、ショックが重なる。そうなるとロープが必要になるだろうが、ここで手に入るだろうか?店を見渡しても地図もロープも置いてなさそうだし、直接聞くのもはばかられる。準備不足だ。もっともロープなど持って来てたら検問に引っ掛かって没収され、僕ら連れて行かれ尋問されただろう。地図も忘れて良かったのかもしれない。
 気がつくといつの間にどう嗅ぎつけたのか、店の外には村の子供達が集まっていて、僕らをものめずらしそうに見ている。場所を変えてもついて来るだろうから、飽きるまでほって置くしかないだろう。ところが減るどころか、見物人の子供達は増えてくる。僕はトレイシーに、上手くはないが子供達に解からないように英語で話そうと提案する。彼女もそれがいいとさっそく切り出す。
「ここからペルキンまで四〇キロメートルぐらいだと思う」
「十四キロぐらいならたいしたことないか」
「ちがうわよ、フォーティーよ」
「なんだって!山道で四〇キロもあるのかい!」
と僕が驚くと、それが英語、いや少なくともスペイン語でなかったにもかかわらず、ペルキンとか、何キロメートルとか、僕の驚きの表情もあったのか,子供たちの中から
「違うよ!ペルキン村までは二〇キロ位だよ」
と教えてくれる子がいた。トレイシーは完全に白けている。僕の方はペルキンまでの距離が四〇キロから二〇キロに減って嬉しいやら、こっちから英語で話そうと言い出した手前カッコ悪いやらで、どうしたらいいものか戸惑ってしまう。
「どうしてそれぐらいの英語がわからないの」
  トレイシーが情けなさそうに言う。たかがフォーティーンとフォーティーの、僅かな違いでしかないではないかと思うのだが,ここは我慢して続けるしかない。
「君こそなにがだいたい頭に入っているだよ、あのねぇトレイシー、日本ではブリティッシュイングリッシュしか教えてないんだよ。君のその,かたいオージービーフを噛みながら喋っているような英語じゃあ聞き取れないこともあるさ。もっと正確に発音してくれよ」
 何とか英語が通じたようで、トレイシーが僕の注文にむかついている。子供達も何の話をしてるのか、探っているが解からないようだ。
「ところで、私達の想像と違って、この村には相当の数の兵士がいるようだけど、脱出できる可能性はあるかしら」
「これから僕が村の周囲を見に行ってくるよ。見てから報告するから、君はここで子供達を引き付けておいて」
「ちょっと待ってよ、私も行くから。村の周りには有刺鉄線が張り巡らされていて、かなりの兵士が警備しているはずよ」
「でもどこか手薄なところがあるはずだよ。そこから出るしかないだろうね」
「いかにも無防備で警戒してない場所の先には、たぶん地雷が敷き詰められているはずよ。そんなとこは逆に要注意ね」
「そうだとしたら、どうやってここから先へ行けるだろうか」
「暗い時間に村の外へ出て行こうとしたら、捕まえようなんてしないで直ぐ撃ってくるわ。それに私達がここにいることは報告してないし、正当な発砲ということになるわね。地雷を踏むのも撃たれるのも避けなければね」
「えっ!地雷、まいったな。君が先を歩いてくれる?」
「どういう意味よ!最低。でも、もし地雷も踏まず撃たれもせず外側へ行けたとしても、外側に兵士はいないのかしら」
「こういう時に“もし”を使うのは不適切じゃないかなぁ。そういえばバスがここへ着く手前で兵隊を満載したトラックが二台、山のほうへ入って行ったけど、あれは村の外を警備しているのか、あるいはゲリラと戦闘するための兵力じゃないのかなぁ」
「ずっと先の川までたどり着いたところで兵士にでく合わせるかも、あるいはゲリラ側に撃たれるかもしれないわね」
  何度も聞きなおしたりしながら、僕のいびつな英語でなんとかこの辺の話は出来た。と思う。子供たちもわけの解からぬ会話に飽きたのか少し減ったようだ。このままでは何の具体策も出て来ない。
「トレイシー、時間を無駄に出来ない。暗くなる前に村を回って周囲がどうなっているか見てくるよ。それに使えるロープも手に入るか、なければ蔓でなんとか代用しよう」  
「私も行くわ、二手に分かれて逆に回ってみましょ、すれちがったら後でここで」
 店のセニョーラに荷物を預かってもらい、村の境界線を探ってみることにした。まず僕が先に出る、出たとたん、店の前の道の角に肩から銃を掛けた兵士が二人いて、僕と目が合うと視線を避けた。


                                     つづく

2017年10月15日日曜日

Me perdi en el Eden 小説



                                    ⒕ 


 トレイシーが参謀本部に許可をもらいに行ってる間、僕がルーペに明日の出発の準備が出来てるか確認に行くことになった。もしかしたらルーペの頭の中にモラサンがユートピアのようなものに映っていたとしたら・・・・・・それはないか。行きたいならしょうがない。どうせ荷物は僕が持つか、それともガブリエラを僕が背負って行くかになるだろう。んっ!もしかして両方?とにかく荷物はコンパクトにしてもらおう。
  セントロの賑やかな通りから裏通りに入った、教えられた所にルーペが働く店はあった。夕方になると、この辺りの店に薄暗いネオンが灯る。店の前では女やオカマ達がお喋りしていた。ルーペが居るか聞いて中へ入った。彼女の小さな娘、ガブリエラが小走りにやって来た。刑務所にいるオスカルの仲間を彼らと一緒に訪問したとき、木陰でオシッコさせてやったのを覚えていてくれたようだ。まだ早い時間で客はいない。ルーペが奥から出てきて
「あら、来てくれたのね」
と、冷たいビールを出してくれた。テーブルに座り、さっそく用件を伝えるとどうも様子がおかしい。ルーペはしきりに右の肋骨の辺りをかばっている。
「どうしたの、どこか具合悪いの?」
「実はおととい私服の警察達がやって来て、罰金だと言って賄賂を要求されたの。私達は払わなかったんだけど、そしたら(オカマの)サンドラとグロリアが殴られたの。それで私とマリソルも止めようとしたら、私は胸の下を蹴られ、マリソルは連れて行かれたの。以前からたまに来て賄賂を取ったり、ただで飲んだりしていたんだけど、新政権になってからちょくちょく来るようになったの。私達もそんなに払えないから」 店頭のオカマの顔にあざが出来ている理由がわかった。マリソルはまだ戻ってなくて、今回は長引くかもしれないという。金が払えない時は体で払わされることもあって、それが今回マリソルなのかもしれない。ルーペもこれまでに、二度連れて行かれたことがあるらしい。潜在失業率六〇%と言われるこの国で、体を売るしかないルーペ達から、法をかざし賄賂をせびり暴力を振るう。
 他の言語は知らないが、英語やスペイン語のスラングでどうしても好きになれないのがある。ビッチやプータといった娼婦を表わす言葉の組み合わせだ。
「ふとし、ごめんなさい、私やっぱりここに残るわ。山へは行けない。こんなわけで人も足りないし、マリソルのことも心配なの。次の機会がもしあるなら、その時ぜひ行きたいと思う」
  ガブリエラを膝に乗せながら見つめる表情は、どこか宗教画のマリアに似ている。穢れや私欲がなく、ちゃんと教育を受けたらおそらくそれなりの立場ある仕事に就けただろう。彼女は問題意識が強く、暇を見つけてはオスカル達と一緒に女性(政治犯)刑務所を訪問したり,トレイシーや記者たちの話をいつも興味深く聞いている。
「かまわないよ、気にすることない。トレイシーには僕から事情を説明しとく。それより医者にみせたの? 痛そうだけど」
「大丈夫、ただの打撲よ、湿布貼ったから、休んでもいられないし」
「ルーペ、一つ聞いていいかなぁ」
「なあに、いいわよ」
「ルーペはどうしてモラサンに行きたかったの」
  彼女は少し考えをまとめるように時間をとってから言った。
「モラサンのゲリラ側には入れたら、そこにこの子と残ってやり直そうと思ったの。あっちの生活が楽じゃなくて危険だとは思うけど、そうしたかったの。ねえ、もし山へ行けたらあっちの様子を教えて」
「もちろんだよ。絶対に帰ってきてここへ寄るよ。ガブリエラにも会いたいしね」
  オカマのグロリアが、私もビール欲しいって言うので奢ってあげて、それからは艶っぽい話になった。そうこうしていると、ちらほら客が入って来て飲みだしたので、おいとますることにした。店を出る前にトイレを借りた。奥にあるトイレに行く通路の脇にはカーテンで仕切られた小部屋がいくつかあって、赤い小さな電球の、弱い灯りが少し開いたカーテンの隙間から漏れていた。ここで客の相手をするのだろうが、ルーペとガブリエラはここで寝泊りしているという。ガブリエラは昼間、店中走り回って顔まで汚れている。
  この子がもう少し大きくなったら、この環境はどう映るだろう。ルーペにアパートを借りる余裕などない。そしてガブリエラは少しずつこの世界が見え始めている。ルーペの話だと恐そうな男が来ると、ママ、ポリシア(警察)、ポリシア!と言って怯えて跳び付いてくると言うのだ。ガブリエラを抱え揚げると、その小さな兎口の唇で頬にお別れのキスしてくれた。

 

               ⒖

 

  朝、ホテルから荷物をトレイシーのアパートへ移す。クリスも居ない間の留守番を兼ね引っ越す。ねぼすけのトレイシーも今朝は起きていて、三人でコーヒーを淹れて簡単な朝食をとる。なんといってもコーヒーは、グァテマラ、エル・サルバドルの中米と、コロンビアのものが僕のお気に入りだが、ここへ来るまで、それがどうやって生産されるのか、誰がくそ暑い中で働き、誰の懐に利益が転がり込むのか考えもしなかった。それはエル・サルバドル、それにコーヒーに限ったことでもない。 多国籍企業と途上国の関係、貧富の問題の解説も、毎日、次から次に吐き出される、世界のいたる処で起きている戦争や弾圧の報道も、遠く離れた国に住む人間にとっては、ただ消化され排泄されるもの。その瞬間、同情や憤りを覚えても、いつの間にか忘れてしまう。どこか忙しい朝の排便行為に非ずとも似ている。 自分の生活に関わる、税金や保険料が上がるというようなニュースだけを記憶し、知らない国で起きていることなど、僕だけでなく大方の人間には、記憶の図書館の片隅に放り置かれてほこりを被るだけだろう。
 僕は何を求めて山へ行くのか、自分の中でなんの総括もされていない。トレイシーはジャーナリスト。クリスは帰国して論文でも書くだろう。だが僕はただの旅行者のままであることに今更ながら気付くのだ。それならそれでいい、僕は旅をしているんだ。ガイドブックでお決まりの旅行が嫌だからこういう形になったけど、これが僕の“地球の歩き方”ならぬ迷い方なんだ。いや形などないから旅なのだとコーヒーを飲み干す。
 クリスに残りの荷物と持ち金の半分を預け、僕らはバスターミナルに向かった。そこでホテルで見かけたドイツ人に出会った。
「いやー、昨日は大変だったよ!チャラテナンゴ(ゲリラ戦の始まった地域)の友人に、もしかしたら会えるかと訪ねて行ったんだけど、途中で軍の検問で引っ張り降ろされて、そのうえクアルテル(兵営)に連れて行かれて、二時間も尋問されたよ。結局会えなかったけど、まったく外国人はみんなゲリラのシンパと思ってるんだから。ほんとに恐かったよ。ちょうど新聞で拷問に関する記事を見た後だったし、なお更ね」
  話によると実際彼はゲリラの共感者で、その友人に会いに行ったと言うのだからしょうがない。彼はパスポートを二つ持っているという。今ニカラグア人と結婚して、ニカラグアに住んでいる。結婚したばかりなのに、もう子供が二人いる。その子供達はコントラ(ニカラグア革命後ホンジェラス側国境からアメリカの支援を受けてニカラグアに攻撃を仕掛ける旧政府勢力)に殺されたニカラグア人の子供を養子にしたという。もしも、もう一方のパスポートを持っていたらやばかっただろう。
  そういえばアメリカ人旅行者のケリーも、チャラテナンゴ近くで危うく逮捕されそうになり、自分は君達の持ってるその武器を供給している、アメリカ合衆国の国民だと何度も繰り返し、難を逃れたということだった。(ちなみにケリーはクリスに好感を持ってる女性に気があって、クリスをCIAだと言って問題を起こし謝罪なしで出国)
  今激戦区はチャラテナンゴからモラサンに移っている。ドイツ人の彼は住所を教えてくれ、ニカラグアに来たらぜひ訪ねて来てくれと言ってくれた。二メートルくらいある巨人の彼と別れの握手をすると手がしびれる。そんな彼が怖かったと言うので余計怖くなる。
  サン・サルバドルからサン・ミゲルまで南東にバスで三時間、バスを乗り換えてサン・フランシスコ・ゴテラまで一時間半、この道程が焼きつくように暑い。バスの中はぎっしり混んでいる。予定ではここまでたどり着いて、ここの参謀本部によって、大佐に首都の参謀本部でもらった許可証を見せなければならない。そして大佐がOKを出してはじめてオシカラ村まで行けるというわけだ。
  ところが、ゴテラに着いた時、トレイシーはどうした心境の変化か、このままオシカラまで行ってしまおうと言う。どうしてだと問うと、一つは今のモラサンの状況からして、ひょっとしたらここで足止めをくう可能性があること。もう一つはこれまでの経験からしても、ゲリラ側のテリトリーに入る許可が出ることは、ほぼ有り得ない。それならノーマークでオシカラまで行き、軍の警備が薄いところを探してそのまま村を出てしまおう。そしてFMLN側の前線の村、ペルキン目指して歩き続けようと言うのだ。そんなわけで可能性の大きい方を選択することになったのだが、僕はただトレイシーの無謀な決定に従ったというに過ぎない。いつも大胆不敵なトレイシーのことながら、彼女の横顔にこれまでに見たことのない迷いが見られるのが気になるのだった。
  サン・フランシスコ・ゴテラのバスターミナルに着くやいなや、本数の少ないオシカラへ向かう出発まぎわのバスを見つけ飛び乗った。このバスは首都からのそれに比べると一回り小型で、やはり混んでいて座る席もないので、トレイシーを乗客がつめてくれた座席に座らせて、僕は少年達と一緒にバスの屋根に登った。本来は荷物を載せるところで、バスの外部後ろにはしごが付いている。
  街を出て山道に入る。まだ日射しは強いが、バスがスピードを上げると風が生まれ気持ちいい。ゴテラまでは、窓を開けっ放して入ってくる熱い風で凌ぐしかなかった。熱中症寸前の、ここまでの道のりで失われた体力を回復しなければと一息つく。バスは緩やかな坂道をエンジンを唸らせながら走っていく。落ちないようにつかまって座り、オシカラに着いてからの事をしばらく考えていると、カーブを回ったバスの前方に突然、迷彩色の軍服を着て、肩や首から自動小銃を吊るした十数名の兵士の一団が現れた。
  検問だ。全員降ろされ、道路の脇に並ばされる。乗客は言われる前から身分証明書を出して兵士に見せている。僕らもパスポート、記者証、そして首都の参謀本部でもらった通行許可証を見せる。別の兵士たちは車内に入って、全員の荷物、それからシートの下まで、念入りに調べている。僕とトレイシーの通行許可証をチェックしていた兵士が、車内の兵士に僕らの荷物を持って来るように言う。そしてバッグの中の物をすべて道路に出し調べだした。もちろんあやしい物など持って来てないが、トレイシーの二台のニコンのカメラを手に取って調べだした時、すでにバスに戻っていた乗客達の視線がカメラと僕らに集まった。早く仕舞ってほしいと思う。僕らの印象が、オシカラ村に帰る乗客たちに残ると、着いてからの行動もやりにくくなる。あるいはそんな心配も意味なく、ここから追い返されるのだろうか。
  兵士の中でも上官らしい数人が通行許可証と僕らに視線を振る。追い返されるだけではすまない状況なのかもしれない。長引くと許可証の不備がばれる可能性がある。いやもうばれたのだろうか。ここは機転を利かせて何か言った方が良くないだろうかと、トレイシーに目配せする。すると彼女はにこやかに
「みんな待ってるから早くしましょうね、参謀本部の通行許可証はごらんになった?」
と落ち着いて言った。
「うーん、よし、いいだろう、荷物をまとめて乗りたまえ」
  うまくいったではないか!僕は気の変わらぬうちにと、急いで出てるものをバッグに収め、バスに戻ると乗客達も良かったねという視線で迎えてくれた。バスが走り出してからトレイシーに、どうしてばれなかったのかと聞くと
「あのクラスまでの兵士には、オシカラ村までの通行許可証ということは理解出来ても、そのためにサン・フランシスコ・ゴテラで許可をもらわなければならないということはわからないのよ」
と、想定の範囲内という表情で答える。それならそうと言っといてくれればいいのにと思いながらまた屋根に上り,着いたら着いたでどうなることやらともう考えるのも止めた。標高も上がり少し涼しくなって,少年達がもうすぐだよと教えてくれた時、もう一度検問にあう。そして一度目より厳しいチェックにもかかわらずこれもパスして、ついにオシカラ村までたどり着いたのだった。


                                                                          つづく


2017年5月8日月曜日

Me perdi en el Eden 体験記小説


 
               ⒒

 

日曜日の正午、公園でレイナを待っていた。どうしたのだろう、彼女は今日の休みを一緒にいたいからと言ったのに。僕もとても楽しみにしていた。一時間たっても来ない。何かあったのだろうか、心配だ。もしかして何か彼女を傷つけることをしただろうか?思い出してみるのだが思い当たらない。
  あの夜、遠雷に時おり浮かび上がる彼女の後姿を見送った時、ふりむいた顔は光を集めてうれしそうに輝いてた。だからなおさら心配なのだった。この国では何が起こってもおかしくない。下宿に行ってみようか、でもすぐにレイナから、もうあの店には来ないでと言われたことを思い出した。おそらく急な仕事でも入ったのだろう。一時間半待って公園を出た。

 

               ⒓ 

 

 夜、この頃みんなのたまり場になってる未亡人、サンタ(聖)・ドリス(彼女自身が皆にそう呼ばせている)の家に行くとトーマスやオーストラリア人ジャーナリスト、ケン、アメリカ人大学院生クリスが来ていて、テレビのニュースを見ながら皆で飲んでいた。ニュースでは今注目を集めているアンチ・テロリズム法についての論争をやっていた。
  この新法は新政権になる前から、アレナ党がその実行を公言していて、FMLNや反政府勢力の破壊活動を取り締まるというものだが、この法律が施行されれば今でさえ命がけのデモや抗議活動は壊滅的な打撃を受け、外出や集会の自由も奪われるだろうというのが反対する側の意見である。続く大司教へのインタビューでは、教会側がどのように答えるのか皆ビールを持つ手を止めてそれを見守った。
  その神父は、FMLNの武装闘争は支持してはいないと前置きし、しかしこの法律ではFMLN側のテロを防ぐことしか言ってないが、テロは彼らからだけではないと、もう一方の側のはるかに多いテロ、殺戮行為に対して批判したのだった。紛争地帯の村人、難民センター、国立エルサルバドル大学、イエズス会、中米カトリック大学、独立系新聞社、人権擁護委員会、労働組合連合本部の事務所などでの爆弾投げ込みや殺戮も、最初はFMLN側のせいにするが、軍、死の部隊のやったことだった。殺害予告してたとはいえ、八〇年三月にオスカル・ロメロ大司教が暗殺された時も認めず、アメリカとイギリスの記者が、その犯行にたずさわった者とのインタビューに成功し、死の部隊の犯行だということを証明しワシントンポストで報道した。そのためこの二人の記者はエル・サルバドルを去らねばならなかった。
  ニュースが終わってビールを買いに出て戻ると、トレイシーが来ていてしょんぼりしている。ビールを一本手渡しわけを聞くと、今のアパートの家賃が高いし、シェアしているカルロスが女遊びばかりして金を払わず行方不明で、家賃支払いが滞りそうだ。知り合いになったマリアの家に空き部屋があるというから、そっちへ移ろうと準備していた。
  だが、今日行ってみたらマリアから、申し訳ないが家主である叔母が、外国人ジャーナリストは皆FMLNのシンパだからいつか家に問題を持ち込む。それに電話を使うと盗聴されたりして迷惑だからダメだと言われ、断られたらしい。
  幾分誤解はあるにせよ、家族があれば心配なことでもあろう。それにトレイシーは多少無用心なところがあるしと、みんな思っているのだが、誰も言えないので僕が指摘すると睨まれてしまった。なかなか電話回線があって安いアパートはないらしい。そこで安ホテル住まいの僕とクリスにアパートをシェアする気はないか考えてほしいということであった。
  昨夜帰宅時に酔っ払いに襲われそうになったから送ってほしいと言う。途中で誘われてモラサン行きの相談もあるからと、安酒場に入る。ビールが来ると妙にかしこまった顔で
  「明日いよいよエスタード・マジョールへ行って許可証をもらって来るわ。私の勘だと許可が出るのはほぼ間違いないと思う。といって行けても軍側のテリトリーの最前線のオシカラという村までだけどね。その村に行くまでに、サン・フランシスコ・ゴテラ市の軍本部に行って、そこのコロネル(陸軍大佐)にまた許可をもらわなければならないの。でも首都でオシカラまでと言われたものを現場でその先までと頼んでも無理だろうし、あそこの状勢だと下手をするとオシカラまでも行けないかもしれないわ。もし行けたらゲリラ(正確には戦法のことだが、以後ゲリラ戦士、勢力)地域までアタックしてみましょ。前にチャラテナンゴで成功したから希望はあるわ。もっともその時と今では状況が大分違うけどね、もうあれから誰もゲリラ側との接触に成功してないの。まあ現場の雰囲気を見てからね」
「ところでトレイシー、もし僕らがゲリラ側に行けたとして、どうやって出てくるの?」
「そうね、入る方が難しいから今はそのことだけ考えればいいと思うわ」
  ちょっと不安ではあるが彼女を信じるしかない。でも何かとんでもない事を試みているような気もしないでもない。まあ乗った船、彼女の一大スクープの手伝いだ。それにしても本物のジャーナリストというのは凄いものだ。ケンやトーマスでさえビビッているのに、ましてやトレイシーは女だ。
  今回行くモラサン県は他の地域とは違うの。それだけは覚悟しといて。外国人のわれわれはここの人よりいくらか安全だったかもしれない。でもこの頃はこの国に来る旅行者も警戒されているわ。それにもう外国人の記者を含めて四〇人も記者が殺されてる。今年の三月には外国人記者三人が殺されたし、山へ近づけば危険は増すわ。以前チャラテナンゴでオランダの取材班四人が、ゲリラとの連絡役をしたと決めつけられて全員殺されてるの。私はこれまで何度か修羅場をくぐり抜けてきた。やばい時は笑顔がいい。笑ってる者は不思議と撃たないものよ。それに必要に応じて色気も使ってきたの。私一人の方が何かとやりやすいのはその点ね」
  そういえば色気はともかく、トレイシーは美人に見えなくもない。
「一度だけ本当に殺されるかと思ったことがあった。チャラテナンゴの山を一人で歩いていて軍の兵士に出くわしたの。その若い兵士は私を見つけるととんで来て私の腹部に銃口を押し付けたのよ。その男はブルブル震えていたわ。怖いのか、撃ちたくてしょうがないのか、もしかしたら彼自身、撃ってしまいそうな自分が怖かったのかもしれない。その時私はとっさに、頼むようにではなく、毅然としてその兵士が問いただす前に、私の方から彼にいろいろ質問したの。ああいう時は母親のように対応するのが一番よ」
  これは実践心理学だなぁと感心する。すると同時にそれが良い方法だったのかは疑問が残るが、現場を踏んだ彼女の言葉だから説得力はある。
「それからね、グアダルーペも一緒に行きたいって言うから連れて行くわ」
「なんだって、何を考えているんだ!もしかして僕らのカモフラージュにでも利用するつもりかい。ルーペ(グアダルーペの単称)はこの国の人間だ。彼女があそこの出身者なら里帰りとでも言えるけど、何でまた一番戦闘の激しいモラサンへなど来たんだって問われるよ。それによちよち歩きのガブリエラを連れて外国人の僕らと山へ入るのかい? 怪しすぎる、危険だよ」
  エル・サルバドル人は常に身分証明書を形態していなければならず、しょっちゅうバスから全員降ろされてチェックされる。先日など土砂降りのスコールの中でそれが行われていて気の毒に思った。
「それは私もわかってるわ。だからあなたの恋人ということにしたらどうかしら」
「そういう問題じゃない!誰が恋人を連れてあんなところに旅行するんだよ」
  だんだんと高めてきたモラサン行きの気概がしぼんでいく。まさに珍道中だ。
「許可なしで山へ入るのにエル・サルバドル人も外国人もないわ、見つかればつかまる前に撃たれる可能性の方が大きいんだから。それに先日、新聞で政治活動に関わろうとする外国人には、これより厳しく対処するという警告が出たばかりよ。あなたは日本人だから大丈夫ぐらいに思っているかもしれないけど、私が知ってる男性の話をしてあげる。その人とは昨年メキシコシティーの友情の家というユースホステルで知り合ったの。彼はあなたと同じ日本人よ。といっても実はブラジルの日系人。彼は医者で、この国のゲリラ側の地区に入り、村人を診ていたの。そして捕まり、外国の組織から送られた協力者として拷問を受けた。彼が言うには、その部屋にはネイティブの英語を喋るアメリカ人のCIAか、軍関係のプロフェッショナルがいて、拷問(アルゼンチン軍事政権からも五〇人を超える民衆弾圧、白色テロ、拷問のプロが軍事顧問団として、レーガン政権の要請で派遣される)の指揮をとったというわ。いろんな拷問を受け、しまいには電流を一方の極を歯に、もう一方を睾丸に付けられ,電流を流された。ついに自白しないとみるや、なにやら肺の機能が少しずつ弱くなっていく、白い薬を毎日飲まされたらしいの。その拷問者たちが聞くのは、おまえは北朝鮮の人間だろう?それとも日本赤軍か?と、執拗に問われ、言わないとみるや、そう言うんだと強制されたらしいわ。ちゃんとブラジルのパスポートを持っていたのに、どこで偽造したんだと信用しなかったの」
  僕は自分のパスポート(この頃)の最初のページに書かれている文章を思い出した。(このパスポートは朝鮮民主主義人民共和国を除くすべての国に有効であると認める)そんな日本人の僕が、いったいその国内で何をやってるのかさえ公表されない、国交のない国の人間にされたらたまったものではない。
「そしてね、体も弱って死を覚悟した頃、仲間から連絡を受けた国際赤十字に救出されて、その後メキシコに避難したというわけ。私が会った時は歯が抜け、肌はつやがなく、まるで死期の近い人のようだった。そして完全な性不能になってることを告白したの。肺の方も段々弱くなっていて、カナダにいい病院があるとかで、赤十字に協力してもらって連絡を待っているようだったわ。その後どうなったかは知らない」
  インポテンツという言葉が何故かおぞましく聞こえた。
「トレイシー、それ本当の話?」
「あなたを怖がらせるために、こんな話わざわざ作ると思ってるの。それからルーペの事だけど、やっぱり私は彼女の意志を尊重しようと思うの。彼女が行きたいと言うなら私は止めない。だって外国人に行けてこの国の人が行けないなんておかしいわよ」
  僕はこの時、ルーペの件がトレイシーの無計画さによるものではなく、僕らの文化の違いなのかもしれないと思った。堀江健一さんが小さなヨットで太平洋横断に挑戦しようとした時、日本政府は認めず、堀江さんはパスポートなし、密出国という形で出航するしかなかった。ただ前例がないからとか、安全を強調するだけではあの快挙はなかったのだ。今回のケースとちょっと違う気もするが・・・・・・。
  ビールを飲み干し、安全のために最善を尽くそう、と言って彼女に同意した。

 

               ⒔  

                                                                                                                                                                                                                 

 大学へ行くとセルヒオがいて、四時から野党のリーダーで先日あの”死の部隊”に暗殺予告されている、ギジェルモ・ウンゴ氏の講演会があると言うので参加した。うまく聞き取れなかったのだがセルヒオの説明もあり、理解できたのは以下のような内容だった。
  保守(極右)政権の横暴と、北の巨人アメリカ合衆国の不当なてこ入れを非難し、多国籍企業とごく少数の富裕層による富の収奪から、いかに国民の生活を護るか。
  公正な選挙が行われていない現状において、全ての社会勢力が結集していかに改革をすすめるか、ということ。学生や知識人の社会的な役割、中米地域におけるエル・サルバドルの社会改革の意義など、を話していたと思う。
  そして学生や参加者との質疑応答で講演は活気づき、何かの話の中で氏は、そこにいた欧米人や僕を指し、外国人の共感に感謝すると言い、みんなと拍手をしてくれたのであった。
  講演も終わりに近づいたと思われる頃、突然大きな爆発音が二度あり、その後パキパキパキと銃撃戦が始まった。僕はビックリしたのだが、みんなけっこう落ち着いている。校内放送が聞こえて、音がするのと反対側の出口、正門の方から、落ち着いて速やかに退校するように放送がある。セルヒオに聞くと大学の敷地内ではなく、正門と反対側に隣接する兵営に、都市ゲリラが攻撃を仕掛けて銃撃戦が始まったと言う。流れ弾があるかもしれないので、みんな引き上げる。セルヒオと一杯やりたかったが、このあと道路が封鎖され、交通渋滞になるので残念だがまたにする。
  例によってひどい交通事情のもと、なんとかホテルに帰り着くと、番頭のチェぺ(ホセの愛称、ぺぺとも)が、にやつきながらセニョリータが待っていると言う。二階の奥の休憩場の椅子に座ってレイナが待っていた。
「お帰りなさいハポネシート(日本人の愛称)。ここだって言ってたから来てみたの、昨日はごめんなさい!」
と言って来れなかったわけを話しだした。
  昨日の朝、首都のはずれにある、伯母の家に同居しているレイナのおばあさんが、病気になって、彼女に会いたがってると突然連絡があった。それで大急ぎで出発して僕に連絡も出来なかった。ということらしい。僕が黙っているのを見て、怒っているのねと何度も聞く。チェぺの視線が気になるので、まだ暗くないし公園に行くことにした。
「本当にごめんなさい、おばあちゃんとこ行ってもずっと気になってたの。気が気じゃなかったのよ。怒って当然だわ、私だってとても残念だった。せっかく休めたのにあなたと逢えないなんて、どんなに楽しみにしてたか」
「バカだなあ、そんな大事な用なら謝らなくていいよ。怒ってなんかいないよ、本当に。それよりおばあちゃんの具合どうなの?」
「私はおばあちゃんの病気を呪ったものよ。でも着いた時は本当に具合悪くてびっくりしたの。それでもいつも行く行くって言ってばかりの私が来たのを見て、おばあちゃんとても喜んでくれて、それから随分良くなったのよ。伯母達も感心してた。信じられる?」
「信じるさ、だってレイナは周りの人を元気にするんだから。本当にいいことをしたね。心配したけどよかったよ」
「えっ、まさか私のこと心配してくれてたの?ほんとうに?」
「当たり前じゃないか」
「・・・・・・私のこと心配してくれる人がこの世にいるなんて」
「バカだね、おばあちゃんだって、そうだから会いたがってたんじゃないか。それにね、君が追い出されたと思ってるお父さんだって、きっと心配でしょうがないに決まってるよ」
「そうかしら」
「自分の経験から分かるんだ。高校生の時にね、親父と喧嘩して家出したことがあって、あの憎たらしい親父が一睡も出来なかったんだって。前から言おうと思ってたんだけど、両親に連絡とるべきだ」
「でも今の私には、何もない」
「なんだって、そんなこと何の関係もないよ。それにとんでもない勘違いだよ。例えば僕がレイナからどれだけのことを学んだと思ってるんだ。元気ももらってるしね、嘘じゃない」
「私から?こんな私が誰かに何かを教えることが出来るですって、人を元気にしたり?」
「そう、だからもう自分のことを卑下するのは今日で終わりにしよう。今度また同じことを言ったらひっぱたくよ」
「ありがとう・・・・・・。あのね、おばあちゃんがね、私が前より明るくなったって。元気になったって。そして大人になったっていうの。もしかしてあなたのせいかな」
  そうだとしたらどんなに嬉しいことか。僕こそ、日本に帰れば社会復帰もむずかしい何の取り柄もない男なのだ。そんな僕が地球の反対側に住む(罪と罰)のソーニャのような娘に、幾ばくかの元気を与えられたとしたら・・・・・・。世界を変える力なんてかけらもない男には、ちっちゃいけどこんな充実した歓びはないのだ。僕はこの国に来て初めて幸福を感じていた。
  レイナが少し怒った顔つきをして突然言った。
「さっき私に、ひっぱたくって言ったわよね」
「いや、あれは、なんていうか、たとえばの話で、つまり、本心じゃないんだ」
「ねえ知ってる?全然怖くなかった。ふふふ」  


                                                 つづく        
 

2017年5月6日土曜日

Me perdi en el Eden



              9

 

 夕方いつもの待ち合わせ時間に公園に行くと、十分ほど遅れてレイナはやって来た。汗のにおいがする。シャワーを浴びる暇もなかったのだろう。今日は公園内を、肩に自動小銃をかけた軍の兵士がうろついている。レイナの表情は明るく、早速今日の報告をする。
「ありがとう、昨日の件はあなたのおかげで片がついたわ。本当にありがとう、次の給料日には必ず返すから」
「無理しなくてもいいよ、この前聞いた給料じゃ暮らしも大変だろうから。どういうふうに使ってるの?」
「部屋代六〇コロン(約一〇ドル)、食費が一〇〇コロンでほとんど残らない、でも大家のおばさんの店を時々手伝っていくらか貰ってるから」
「僕に返せば何も残らないじゃないか」
  僕にとってはわずかな金で返さなくてもいいと思った。最低賃金が法律で定められていても、失業率が高いのをいいことに守らない経営者は多いらしい。
「食べていくのがやっとで、赤ちゃんに仕送りなんてまだ一度も出来ないわ」
「レイナ、もっと収入のいい仕事があるんじゃないの、仕事を変える気はないの」
「そりゃあ、例えば事務の仕事ならもっと給料はいいけど、私は小学校もまともに行けなかったから働けないわ」
「でも店員だってウエイトレスだって、今の仕事よりいいんじゃないの?」
「以前セントロの靴屋で働いていたの。でも給料は少しよくても今の工場のように昼食が付いていないから。そしてウエイトレスの仕事は、食事もあるけど嫌なの」
「どうして?」
「それはね、客の男たちは食堂なんかで働く女をちっとも人間らしく扱わないの、お酒が入るとすぐ体を触ってきたりするのよ。いまは生活が苦しいから夜時々お店を手伝っているけど、早く止めたいわ」
  レイナはすこしの間、黙っていたがまた話だした。
「私、夢があるの。何とかしてお金を貯めて・・・・・・ねえ笑わないで聞いてくれる?私、職業学校に行きたいの」
「バカだなあ、笑うわけないだろ」
「私が生まれたサンタ・アナの父が借りてた家の近くに美容室が一軒あったのね。私は暇をみつけてはそこへ行って、お姉さん達が魔術師のようにお客さんの髪を切ったり整えたりするのを見ていたの。そして、お客さんが見違えるようになって、気持ちよさそうにお店から出てくるのを見て、私、大人になったら絶対にお姉さん達みたいになるんだって!・・・・・・小さい時からの私の夢だったの」
「レイナ!素敵なことだよ、夢なんかじゃない。きっとその仕事に就けるよ」
「さあ、今度はあなたの番よ、あなたの夢を聞かせて」
 僕は思いもしなかった問いかけに困ってしまった。いい年こいて、夢などなかったのだ。いやあった・・・・・・。ラスベガスでギャンブル漬けの日々が思い出される。必ず必勝法を見つけ出し、知る人ぞ知るギャンブラーになること。そしてその金でリッチな旅をして暮らし、世界中のカジノを渡り、また旅を続ける。親が知れば張り倒されそうな僕の夢は、ここだと思ったあの日の大勝負で、有効だと信じきっていたテクニックは機能せず、逆目にきて瓦壊した。思い出したくもなかったし、そんなこと話せるわけがない。レイナのすばらしい夢の話を汚してしまうだけだ。
「僕のはそのうち話すよ、それより美容師になる話、もっと聞かせて」
「ありがとう、あなたと出会ったから諦めかけてたことがまた甦ったの」
「その職業学校、絶対に行くんだよ、いつからなの?」
「再来週からだけど、今回は間に合わなくてもいいの、六カ月後にまた受付あるから、まずお金を貯めなきゃ」
「費用はいくらかかるの?」
「市が後押ししてるから思ったより安いの、申し込み金が五〇コロンで、週二回で五ヶ月二五〇コロンよ」
「レイナ、さっき僕の夢は何かって聞いたよね」
「聞きたいわ!」
「僕は末っ子でずっと妹が欲しかったんだ。レイナみたいな働き者の妹がいたらいいなと思って。だから・・・・・・僕にその費用出させてくれないかなあ。ふざけた話だけど日本人の僕には大した額じゃないんだ。もし嫌だって言うんだったら貸すから後で返してくれたらいいから」
  彼女はちょっと驚いたようにこっちを見た。
「それともこんな怠け者の兄貴じゃ嫌かい?」
「うれしい、うれしいけどあなたは旅行者だからお金は持ってなきゃいけないわ、それに私は・・・・・・妹なんか嫌よ」
  僕は真剣な表情で見つめられておたおたした。キラキラする大きな目とふっくらした唇がすぐ近くにあった。

 

               ⒑

 

 朝八時からはじまるというから、トレイシーのアパートに急いだ。アメリカ人のフリーランスのトーマスも来ていて、今日はバスがストなのでわずかしか走っておらず、三人でタクシーを割り勘して行くことになった。トーマスは朝の四時までドリスの家で飲んでいたと言う。三人で市の南にある国際見本市会場に着いたときは、とっくに八時をまわっていたが、式典はまだ始まっていなかった。会場前の広場には、すごい数の兵士が警備にあたっていて、式につめかけた招待客、参加者が長い列を作っている。その連中を僕は最初、外国から来た参列者かと思っていたが、どうもこの国の上流階級のようだ。一流のスーツや礼服、ドレスを着た白い肌、金髪の目立つ人々。
 この日のためにわざわざ帰国した人々が少なくないという。エル・サルバドルの農場主やコーヒー農園主、企業主はアメリカ合衆国のマイアミなどに住み、そこから自分の財産とビジネスを経営、管理しているという。僕らはその列を横切って中へ入ろうとしたが、すぐに兵士が飛んできて広場の一角に連れて行かれ、他の記者たちがしているように、バッグを開けて手荷物を地べたに陳列するように言われた。見れば危険物などないのは一目瞭然なのにそれだけでは終わらない。やたらでかいシェパードを連れてきて、コンクリートの床に並んだバッグやカメラの間を歩ませる。犬はクンクンと匂いを嗅ぎながらすいすいと進んでいく。
 ここに来るにあたって、きちんとした服など一枚も持ってない僕は、比較的こぎれいなYシャツと、二本しかないが破れてない方のジーンズという格好で来たのだが、一つしかないリュックサックは洗濯することなどなく、他の記者たちの物と比べても場違いな感じがするし、カメラさえ持っていないのもおかしい。まあ、すぐに終わるだろうと思っていたら、ピタッと僕のリュックサックのところで犬が止まった。
  そして中身はすべて出しているにもかかわらず、僕のリュックサックをしつこく嗅ぎ始め、まるでご無沙汰のメスの匂いにでもでく合わせたかのように恍惚としている。終いにはそのでかい頭をナップサックのなかに突っ込み、職務さえ忘れてしまったようだ。犬係の兵士も困ったみたいで、力いっぱい引っ張るも犬は負けじと踏ん張り、未練がましく動こうとせず、これまでのエリート犬という肩書きかなぐり捨てて、愛に生きようとするかのようだ。何か特別な匂いが醸造されているのだろうか?そういえば僕はいつもパンやチーズ、ハムなどこのサックの中に入れて持ち歩き、旅の間エンゲル係数と格闘していたのであった。
  どうにか兵士二人がかりでこの馬鹿犬を引き離し、念のためサックを逆さにして中を確認するも、こぼれ落ちるのはパンくずのみであった。エリート軍用犬どころか、この犬は僕と同じ落ちこぼれの犬だったのであろうかと思うと、可愛くもあり、引きずられていく姿は哀れでもあった。やっとここをパスし、外階段二階の踊り場でもう一度チェックを受けて中に入れた。そこは二階といっても手すりの付いた通路がぐるっと回った吹き抜けで、一階が見下ろせるようになっていた。一階にはたくさんの椅子が並んであって、上流階級の人々が続々と入場している。僕も早く席を取らねばと一階に下りようとすると、一階は特別な方々と招待客だけだ、と兵士に止められた。
 二階から見る光景は、ヨーロッパ貴族の舞踏会か結婚式でも始まるかのようだ。ほとんどが白人だ。セントロでこんな連中に会うことはまずない。生活圏が完全に分かれているからだろう。後部座席にわずかに褐色の人達がいるだけだ。そして会場を警備している兵士達もほとんど褐色だ。しばらくすると前の列を残してすべての椅子は埋められた。まだクリスティアーニは入場して来ない。いいかげん待たされたので、もったいぶらずに早く来ればいいのにと思っていると、突然大拍手が起こる。みんなの視線の先を見ると、満席の会場の真ん中に開けられた通路を、堀の深い陽に焼けた顔がギラギラする、脂ぎった男が妻子を連れて後部から入場して来た。誰だろう?新聞で見たクリスティアーニとは違う。
「あれがドアブソンよ!(ロベルト・ダビュィソン。エルサルバドルではドアブソンと発音していた)」
  いつの間にかトレイシーが後ろに来ていた。
「彼が極右アレナ(ARENA)(国民共和同盟)の実質的ボス、影の大統領なの。自分自身が 大統領になるはずだったんだけど、エスクアドロネス・デ・ラ・ムエルテ(ESCUADRONES DE LA MUERTE)(死の部隊)を使った暗殺など、余りにも強引なやり方に、アメリカ政府が反対して大統領にはならなかった。つまりクリスティアーニはドアブソンの傀儡みたいなものよ」
「人権委員会の事務所で見た暗殺、殺戮を指揮してる男?」
  トレイシーはその男から目を離さずにうなずいた。するとこの拍手はドアブソンと部下達がやってきた無数の処刑、殺戮に対する、また今後いっそうの継続に対する賛美と言うことになるが。
  彼は正面の一段高いステージに上がり参加者と向かい合って座った。再びの拍手でいよいよ新大統領の登場かと思ったら、アナウンスによると、隣国のグァテマラ(国内にて凄まじい虐殺を行う。当時中南米においてチリ、アルゼンチンの軍事独裁国と共に国際反共連盟の中核をなす。統一教会の文鮮明がスポンサー)、ホンジェラス、コスタリカの大統領や代理のお偉方の入場である。彼らのにこやかな表情からは、自国も似た問題を抱え、あるいはニカラグアという社会主義にひっくり返った国を挟んで、万が一にもエル・サルバドルがひっくり返るような事態にでもなっては、たまったものではないのでしっかりやってくれと励ましに来たのか、それとも単なるお付き合いで、招待状がきたので断るわけにもいかず、用が済んだらこの物騒な国を早く出たいものだと思っているのかはよくわからない。
  その後も、各国の大使館からの招待者が続く。その中でも絶大な拍手に驚かされたのは台湾とイスラエル(アメリカ合衆国は批判をかわすため、イスラエルから大量の兵器を輸出)であった。特に台湾の来賓人数と拍手はズバ抜けていて、拍手だけではおさまらず、途中から手拍子に変わってしまった。中国の圧力で国連で国として認められない台湾を、一貫して指示するエル・サルバドルや中米諸国の立場には僕も賛成だが、軍事政権への経済投資、援助ゆえか、僕の好きな国でもあり少々残念な気もする。
  反対にニカラグアの代表は女性一人の出席であったが、誰一人として拍手しない。しかしそんな雰囲気の中、彼女は背筋をぴんと伸ばし胸を張って歩いていく。その毅然とした態度は、この退屈な儀式の中で唯一感動的なものであった。別にニカラグアに思い入れがあるわけではない。だが、招待状は一応出したがまさか来るとは思わなかった、何しに来たというような視線の中、堂々と闊歩する彼女に僕は二階から拍手したかった。だが、後ろにも横にも自動小銃を持った兵士がいて、つまみ出されるか引っ張って行かれかねないし、取材記者という立場でそれも不自然だろう。
  アメリカ合衆国の最も多い出席者が入場してきた。軍事面のすべての援助を担う国の招待客としては、ドアブソンに気を使っているのか拍手がまばらで思ったより少ない。アレナ党の立役者のドアブソン自らの大統領立候補に待ったをかけ、武器も出すが口も出すうるさい兄貴というか親父のような煙たい存在なのだろうか。最後に最前列の空いた椅子に、カトリックの司教たちとプロテスタントの牧師が一人座り、これで全員揃ったようだ。
  けたたましいラッパが会場内に響き渡り、軍人達が仰々しく銃を捧げ筒する。いよいよ“イブのいちじくの葉“、クリスティアーニ の入場だ。割れんばかりの拍手、大喝采の中を、長身で頭髪の薄い新大統領が、両サイドの出席者からの熱い視線を受けながら正面へ進む。各派の司教達の祝福をうけ、壇上に上がりドアブソンに抱擁で迎えられ、やっと正面中央の椅子に落ち着く。軍人達が足を高々と上げる行進で、ステージのクリスティアーニや閣僚達の横に、銃を下ろして直立不動でおさまった。以後、前大統領ドアルテとのたすきの交換、何やかやあって初心演説が始まった。ドアブソンはそれを満足そうに見つめている。(のちに彼はクリスティアーノを暗殺しようとするが失敗)
 実に長い退屈なスピーチの始まりだった。僕は二階に設置されたスピーカーの間近で演説を聴いていたのだが、うとうとしてしまい、周期的に新大統領が興奮して叫ぶ時、スピーカーが大声を処理する能力を超え、破裂するような音がして目が覚める。その直後、聴衆の大拍手にスピーチが止められ、また退屈な演説が続く。トレイシーがやって来て、やばい、叱られると思ったら
「本当に退屈ね、私ちょっと外に出てくるわ」
と出て行った。見るとトーマスも寝不足と二日酔いであくびばかりしている。僕も集中力などないのだが、それでも同じ言葉が繰り返し出てくることから、大まかな内容は理解できた。
「国民すべてが結集し力を合わせ経済規模を拡大し、友好国の投資を呼び込む。そのためにも新政権は治安の維持に全力を注ぎ、この国のみならず中米地域の安定に貢献し、神の国エル・サルバドルに経済発展と平和を実現させる」
「しかし、それを妨げるコムニスト達(批判、抵抗勢力は一まとめにして、共産主義者、テロリストと呼ぶ)には厳格に対峙し、徹底的にこれを一掃する」
 演説内容はともかく、この儀式はわかりやすくていい。まず金持ちしか来てないからクリスティアーニ新政権が金持ちの利益の代表であること。そして儀式の進行の節目ごとに軍兵の仰々しい動作が入り、会場の内外、至る所に兵士と警官が警戒している。さらにその周囲には有刺鉄線が張り巡らされていて、政府と一般民衆との距離は遠く、その間にも目に見えない有刺鉄線が張り巡らされているかのようだ。
  この日、FMLNはアレナ党の無効選挙、新大統領就任に抗議し、コマンド・ウルバーノ(都市ゲリラ)が送電塔爆破、停電。


                               つづく