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2017年5月6日土曜日

Me perdi en el Eden



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 夕方いつもの待ち合わせ時間に公園に行くと、十分ほど遅れてレイナはやって来た。汗のにおいがする。シャワーを浴びる暇もなかったのだろう。今日は公園内を、肩に自動小銃をかけた軍の兵士がうろついている。レイナの表情は明るく、早速今日の報告をする。
「ありがとう、昨日の件はあなたのおかげで片がついたわ。本当にありがとう、次の給料日には必ず返すから」
「無理しなくてもいいよ、この前聞いた給料じゃ暮らしも大変だろうから。どういうふうに使ってるの?」
「部屋代六〇コロン(約一〇ドル)、食費が一〇〇コロンでほとんど残らない、でも大家のおばさんの店を時々手伝っていくらか貰ってるから」
「僕に返せば何も残らないじゃないか」
  僕にとってはわずかな金で返さなくてもいいと思った。最低賃金が法律で定められていても、失業率が高いのをいいことに守らない経営者は多いらしい。
「食べていくのがやっとで、赤ちゃんに仕送りなんてまだ一度も出来ないわ」
「レイナ、もっと収入のいい仕事があるんじゃないの、仕事を変える気はないの」
「そりゃあ、例えば事務の仕事ならもっと給料はいいけど、私は小学校もまともに行けなかったから働けないわ」
「でも店員だってウエイトレスだって、今の仕事よりいいんじゃないの?」
「以前セントロの靴屋で働いていたの。でも給料は少しよくても今の工場のように昼食が付いていないから。そしてウエイトレスの仕事は、食事もあるけど嫌なの」
「どうして?」
「それはね、客の男たちは食堂なんかで働く女をちっとも人間らしく扱わないの、お酒が入るとすぐ体を触ってきたりするのよ。いまは生活が苦しいから夜時々お店を手伝っているけど、早く止めたいわ」
  レイナはすこしの間、黙っていたがまた話だした。
「私、夢があるの。何とかしてお金を貯めて・・・・・・ねえ笑わないで聞いてくれる?私、職業学校に行きたいの」
「バカだなあ、笑うわけないだろ」
「私が生まれたサンタ・アナの父が借りてた家の近くに美容室が一軒あったのね。私は暇をみつけてはそこへ行って、お姉さん達が魔術師のようにお客さんの髪を切ったり整えたりするのを見ていたの。そして、お客さんが見違えるようになって、気持ちよさそうにお店から出てくるのを見て、私、大人になったら絶対にお姉さん達みたいになるんだって!・・・・・・小さい時からの私の夢だったの」
「レイナ!素敵なことだよ、夢なんかじゃない。きっとその仕事に就けるよ」
「さあ、今度はあなたの番よ、あなたの夢を聞かせて」
 僕は思いもしなかった問いかけに困ってしまった。いい年こいて、夢などなかったのだ。いやあった・・・・・・。ラスベガスでギャンブル漬けの日々が思い出される。必ず必勝法を見つけ出し、知る人ぞ知るギャンブラーになること。そしてその金でリッチな旅をして暮らし、世界中のカジノを渡り、また旅を続ける。親が知れば張り倒されそうな僕の夢は、ここだと思ったあの日の大勝負で、有効だと信じきっていたテクニックは機能せず、逆目にきて瓦壊した。思い出したくもなかったし、そんなこと話せるわけがない。レイナのすばらしい夢の話を汚してしまうだけだ。
「僕のはそのうち話すよ、それより美容師になる話、もっと聞かせて」
「ありがとう、あなたと出会ったから諦めかけてたことがまた甦ったの」
「その職業学校、絶対に行くんだよ、いつからなの?」
「再来週からだけど、今回は間に合わなくてもいいの、六カ月後にまた受付あるから、まずお金を貯めなきゃ」
「費用はいくらかかるの?」
「市が後押ししてるから思ったより安いの、申し込み金が五〇コロンで、週二回で五ヶ月二五〇コロンよ」
「レイナ、さっき僕の夢は何かって聞いたよね」
「聞きたいわ!」
「僕は末っ子でずっと妹が欲しかったんだ。レイナみたいな働き者の妹がいたらいいなと思って。だから・・・・・・僕にその費用出させてくれないかなあ。ふざけた話だけど日本人の僕には大した額じゃないんだ。もし嫌だって言うんだったら貸すから後で返してくれたらいいから」
  彼女はちょっと驚いたようにこっちを見た。
「それともこんな怠け者の兄貴じゃ嫌かい?」
「うれしい、うれしいけどあなたは旅行者だからお金は持ってなきゃいけないわ、それに私は・・・・・・妹なんか嫌よ」
  僕は真剣な表情で見つめられておたおたした。キラキラする大きな目とふっくらした唇がすぐ近くにあった。

 

               ⒑

 

 朝八時からはじまるというから、トレイシーのアパートに急いだ。アメリカ人のフリーランスのトーマスも来ていて、今日はバスがストなのでわずかしか走っておらず、三人でタクシーを割り勘して行くことになった。トーマスは朝の四時までドリスの家で飲んでいたと言う。三人で市の南にある国際見本市会場に着いたときは、とっくに八時をまわっていたが、式典はまだ始まっていなかった。会場前の広場には、すごい数の兵士が警備にあたっていて、式につめかけた招待客、参加者が長い列を作っている。その連中を僕は最初、外国から来た参列者かと思っていたが、どうもこの国の上流階級のようだ。一流のスーツや礼服、ドレスを着た白い肌、金髪の目立つ人々。
 この日のためにわざわざ帰国した人々が少なくないという。エル・サルバドルの農場主やコーヒー農園主、企業主はアメリカ合衆国のマイアミなどに住み、そこから自分の財産とビジネスを経営、管理しているという。僕らはその列を横切って中へ入ろうとしたが、すぐに兵士が飛んできて広場の一角に連れて行かれ、他の記者たちがしているように、バッグを開けて手荷物を地べたに陳列するように言われた。見れば危険物などないのは一目瞭然なのにそれだけでは終わらない。やたらでかいシェパードを連れてきて、コンクリートの床に並んだバッグやカメラの間を歩ませる。犬はクンクンと匂いを嗅ぎながらすいすいと進んでいく。
 ここに来るにあたって、きちんとした服など一枚も持ってない僕は、比較的こぎれいなYシャツと、二本しかないが破れてない方のジーンズという格好で来たのだが、一つしかないリュックサックは洗濯することなどなく、他の記者たちの物と比べても場違いな感じがするし、カメラさえ持っていないのもおかしい。まあ、すぐに終わるだろうと思っていたら、ピタッと僕のリュックサックのところで犬が止まった。
  そして中身はすべて出しているにもかかわらず、僕のリュックサックをしつこく嗅ぎ始め、まるでご無沙汰のメスの匂いにでもでく合わせたかのように恍惚としている。終いにはそのでかい頭をナップサックのなかに突っ込み、職務さえ忘れてしまったようだ。犬係の兵士も困ったみたいで、力いっぱい引っ張るも犬は負けじと踏ん張り、未練がましく動こうとせず、これまでのエリート犬という肩書きかなぐり捨てて、愛に生きようとするかのようだ。何か特別な匂いが醸造されているのだろうか?そういえば僕はいつもパンやチーズ、ハムなどこのサックの中に入れて持ち歩き、旅の間エンゲル係数と格闘していたのであった。
  どうにか兵士二人がかりでこの馬鹿犬を引き離し、念のためサックを逆さにして中を確認するも、こぼれ落ちるのはパンくずのみであった。エリート軍用犬どころか、この犬は僕と同じ落ちこぼれの犬だったのであろうかと思うと、可愛くもあり、引きずられていく姿は哀れでもあった。やっとここをパスし、外階段二階の踊り場でもう一度チェックを受けて中に入れた。そこは二階といっても手すりの付いた通路がぐるっと回った吹き抜けで、一階が見下ろせるようになっていた。一階にはたくさんの椅子が並んであって、上流階級の人々が続々と入場している。僕も早く席を取らねばと一階に下りようとすると、一階は特別な方々と招待客だけだ、と兵士に止められた。
 二階から見る光景は、ヨーロッパ貴族の舞踏会か結婚式でも始まるかのようだ。ほとんどが白人だ。セントロでこんな連中に会うことはまずない。生活圏が完全に分かれているからだろう。後部座席にわずかに褐色の人達がいるだけだ。そして会場を警備している兵士達もほとんど褐色だ。しばらくすると前の列を残してすべての椅子は埋められた。まだクリスティアーニは入場して来ない。いいかげん待たされたので、もったいぶらずに早く来ればいいのにと思っていると、突然大拍手が起こる。みんなの視線の先を見ると、満席の会場の真ん中に開けられた通路を、堀の深い陽に焼けた顔がギラギラする、脂ぎった男が妻子を連れて後部から入場して来た。誰だろう?新聞で見たクリスティアーニとは違う。
「あれがドアブソンよ!(ロベルト・ダビュィソン。エルサルバドルではドアブソンと発音していた)」
  いつの間にかトレイシーが後ろに来ていた。
「彼が極右アレナ(ARENA)(国民共和同盟)の実質的ボス、影の大統領なの。自分自身が 大統領になるはずだったんだけど、エスクアドロネス・デ・ラ・ムエルテ(ESCUADRONES DE LA MUERTE)(死の部隊)を使った暗殺など、余りにも強引なやり方に、アメリカ政府が反対して大統領にはならなかった。つまりクリスティアーニはドアブソンの傀儡みたいなものよ」
「人権委員会の事務所で見た暗殺、殺戮を指揮してる男?」
  トレイシーはその男から目を離さずにうなずいた。するとこの拍手はドアブソンと部下達がやってきた無数の処刑、殺戮に対する、また今後いっそうの継続に対する賛美と言うことになるが。
  彼は正面の一段高いステージに上がり参加者と向かい合って座った。再びの拍手でいよいよ新大統領の登場かと思ったら、アナウンスによると、隣国のグァテマラ(国内にて凄まじい虐殺を行う。当時中南米においてチリ、アルゼンチンの軍事独裁国と共に国際反共連盟の中核をなす。統一教会の文鮮明がスポンサー)、ホンジェラス、コスタリカの大統領や代理のお偉方の入場である。彼らのにこやかな表情からは、自国も似た問題を抱え、あるいはニカラグアという社会主義にひっくり返った国を挟んで、万が一にもエル・サルバドルがひっくり返るような事態にでもなっては、たまったものではないのでしっかりやってくれと励ましに来たのか、それとも単なるお付き合いで、招待状がきたので断るわけにもいかず、用が済んだらこの物騒な国を早く出たいものだと思っているのかはよくわからない。
  その後も、各国の大使館からの招待者が続く。その中でも絶大な拍手に驚かされたのは台湾とイスラエル(アメリカ合衆国は批判をかわすため、イスラエルから大量の兵器を輸出)であった。特に台湾の来賓人数と拍手はズバ抜けていて、拍手だけではおさまらず、途中から手拍子に変わってしまった。中国の圧力で国連で国として認められない台湾を、一貫して指示するエル・サルバドルや中米諸国の立場には僕も賛成だが、軍事政権への経済投資、援助ゆえか、僕の好きな国でもあり少々残念な気もする。
  反対にニカラグアの代表は女性一人の出席であったが、誰一人として拍手しない。しかしそんな雰囲気の中、彼女は背筋をぴんと伸ばし胸を張って歩いていく。その毅然とした態度は、この退屈な儀式の中で唯一感動的なものであった。別にニカラグアに思い入れがあるわけではない。だが、招待状は一応出したがまさか来るとは思わなかった、何しに来たというような視線の中、堂々と闊歩する彼女に僕は二階から拍手したかった。だが、後ろにも横にも自動小銃を持った兵士がいて、つまみ出されるか引っ張って行かれかねないし、取材記者という立場でそれも不自然だろう。
  アメリカ合衆国の最も多い出席者が入場してきた。軍事面のすべての援助を担う国の招待客としては、ドアブソンに気を使っているのか拍手がまばらで思ったより少ない。アレナ党の立役者のドアブソン自らの大統領立候補に待ったをかけ、武器も出すが口も出すうるさい兄貴というか親父のような煙たい存在なのだろうか。最後に最前列の空いた椅子に、カトリックの司教たちとプロテスタントの牧師が一人座り、これで全員揃ったようだ。
  けたたましいラッパが会場内に響き渡り、軍人達が仰々しく銃を捧げ筒する。いよいよ“イブのいちじくの葉“、クリスティアーニ の入場だ。割れんばかりの拍手、大喝采の中を、長身で頭髪の薄い新大統領が、両サイドの出席者からの熱い視線を受けながら正面へ進む。各派の司教達の祝福をうけ、壇上に上がりドアブソンに抱擁で迎えられ、やっと正面中央の椅子に落ち着く。軍人達が足を高々と上げる行進で、ステージのクリスティアーニや閣僚達の横に、銃を下ろして直立不動でおさまった。以後、前大統領ドアルテとのたすきの交換、何やかやあって初心演説が始まった。ドアブソンはそれを満足そうに見つめている。(のちに彼はクリスティアーノを暗殺しようとするが失敗)
 実に長い退屈なスピーチの始まりだった。僕は二階に設置されたスピーカーの間近で演説を聴いていたのだが、うとうとしてしまい、周期的に新大統領が興奮して叫ぶ時、スピーカーが大声を処理する能力を超え、破裂するような音がして目が覚める。その直後、聴衆の大拍手にスピーチが止められ、また退屈な演説が続く。トレイシーがやって来て、やばい、叱られると思ったら
「本当に退屈ね、私ちょっと外に出てくるわ」
と出て行った。見るとトーマスも寝不足と二日酔いであくびばかりしている。僕も集中力などないのだが、それでも同じ言葉が繰り返し出てくることから、大まかな内容は理解できた。
「国民すべてが結集し力を合わせ経済規模を拡大し、友好国の投資を呼び込む。そのためにも新政権は治安の維持に全力を注ぎ、この国のみならず中米地域の安定に貢献し、神の国エル・サルバドルに経済発展と平和を実現させる」
「しかし、それを妨げるコムニスト達(批判、抵抗勢力は一まとめにして、共産主義者、テロリストと呼ぶ)には厳格に対峙し、徹底的にこれを一掃する」
 演説内容はともかく、この儀式はわかりやすくていい。まず金持ちしか来てないからクリスティアーニ新政権が金持ちの利益の代表であること。そして儀式の進行の節目ごとに軍兵の仰々しい動作が入り、会場の内外、至る所に兵士と警官が警戒している。さらにその周囲には有刺鉄線が張り巡らされていて、政府と一般民衆との距離は遠く、その間にも目に見えない有刺鉄線が張り巡らされているかのようだ。
  この日、FMLNはアレナ党の無効選挙、新大統領就任に抗議し、コマンド・ウルバーノ(都市ゲリラ)が送電塔爆破、停電。


                               つづく

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