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2017年5月4日木曜日

Me perdi en el Eden


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 夕べ、トレイシーが、僕のホテルを訪ねてきて、明日エスタード・マジョ―ル(参謀本部)へ行って、FMLNと軍の戦闘が最も激しい、モラサンへ行く許可の申請をするけど、僕に一緒に行って協力してほしい。そこで、彼女の仕事を手伝うカメラマンということで、記者証が取れるかどうかやってみないかと言う。
  先日彼女がアパートでフィエスタ(パーティー)を開いた。大学で知り合った、オスカルが招かれていて、連れられて行って飲んでる時、僕が冗談で、日本の運転免許証でごまかして、記者証が取れるかなあ、と言ったのをトレイシーは覚えていたようだ。という訳で、あまり乗り気はしないのだが友達も出来たし、まあ少し出国が延びてもいいかと、今朝は早くから言われた時刻に彼女のアパートに行ったのだが、まだ寝ていて用意が出来ていない。
  それから旅行者のイギリス人のジュリアや、アメリカ人のケリーが朝食を作ろうとやって来て、そうこうしているうちにだいぶ遅くなり、軍参謀本部に着いたのはなんと正午。トレイシーは一時までやっているからと言っていたのだが、十二時きっかりで昼休み。結局、午後二時の再開まで待たねばならなくなった。アングロサクソンはラテン人より時間に正確なのかと思っていたと言うと、カチンときたのか青い目で睨み、僕が先日のパーティーで、オスカル達と、女性はラティーナ(ラテン女性)が一番と言って盛り上がっていたくせにと言いがかりをつける。
  彼女が二時まで人権委員会の事務所に行こうと言うのでつき合うことにした。時間を考えてタクシーを使う。それはセントロを外れた住宅街の一角にあった。着いた時は職員が出かけているようで、中庭で待つことになった。中庭の木陰で二人のセニョーラが同じように待っていた。僕たちは自己紹介して話をしながら待った。
  彼女らは半年前に軍の兵士達に夫を引っぱって行かれて以来、ここに通っているらしい。一人はその妻、もう一人は夫の年老いた母親だという。そもそもの起こりは彼女らが住んでるスラムに、ちょっとやくざっぽい男が住んでいて、その男はスラムの中では、少々力があって闇の商売などしているのだが、ある日酔っ払ったこの男が夫に因縁を付けてきた。夫はこのしつこく絡むその男を殴ってしまった。男は次の日、知り合いの軍関係者に、夫を反政府活動をしているという通報をし、連れて行かせた。
  セニョーラはそんなのはでたらめだと、軍や警察に行って掛け合うのだが取り合ってくれない。軍の事務所に行き、調べようとするのだが入れてもらえない。それでここへ行ったらいいと知り合いに教えられて来たらしい。それ以後半年間探し続けていると言う。
  この夫が生きていることを信じたい。たとえもし、その再会がこの内戦の終わった後になろうと彼は生きてどこかにいて欲しい。夫との間にはまだ成人してない子供たちが五人いると言うから、経済的な面でも大黒柱を失って大変だろう。
  そんなことを考えていると、ここの事務員と所長が帰って来た。僕らに挨拶して、セニョーラ達に食事は済ましたのか聞き、どこからか二皿の料理を持って来て渡し、中へ入っていった。セニョーラは今日は何か情報が手に入るかもしれないと、希望とも不安ともとれる表情でつぶやいた。
  トレイシーは早速、受付に行き今年に入ってからの、暗殺による死者の資料をもらえるように手続きしている。そして僕を中の部屋に案内してくれた。そこには夥しい数の写真が壁という壁に貼ってあった。近寄って最初に目についたのは、ある男が乗用車から引き摺り下ろされて殺されたのだろう、その車の横に倒れている血だらけの写真。隣の写真は上半身、自動小銃かピストルで何箇所も打ち抜かれ、その上喉をかき切られてるもの。殴られ続け、倒れれば蹴られ、容赦なく息が絶えるまでそれを繰り返されたのだろう、顔が異常に腫上がり、どす黒く変色した写真。その隣は・・・・・・長く見つめられるものではない。
  目が開いたもの閉じたもの半開きなもの。男性がほとんどだが女性もいる。裸にされたものもある。あきらかに性的暴行を受けたあと殺されたもの、耳や鼻を削がれたもの。表情を歪めたもの、ひきつったもの。多くは後ろ手に縛られ、頭を打ち抜かれたうえ喉を掻き切られている。ただ見せしめのためか、逆らう者を脅えさせるためか、殺す側が楽しんでやったとしか思えないものもある。
  あまりに多すぎて、失礼な表現だが似たような死体達、無念が放たれる全ての死体。だが、一人一人違う半生、生い立ちが、反政府活動に入った理由があるだろう。組織のリーダーやメンバー、一般市民、あるいは勘違いで殺された者。一つ一つに帰属するそれぞれ別の家族がある。なら似たような死体などないではないか。この事務所で働く者は一体一体と、その家族を結びつけなければならない。
  たった一面の壁を見て逃げ出したいのに、他に三面あり別の部屋にもあり、それでも収まりきれないから、死体のアルバムが何冊も積まれてある。出ようとしてドアに目がとまった。そこに貼ってある一連の写真には、教会での葬儀と、その棺を担いで抗議のデモをする人々が写っていた。誰のだろうと見ていると、ボランティアらしいセニョーラが、ここの創設者八人の中の最後の生き残りだった前所長のエルベルト・アナヤ氏が、二年前暗殺された時の葬儀だという。僕は思いだした。セルヒオが大学構内を案内してくれた時、視聴覚室か講堂に付けられてた名前はこの人のだったのだ。
  ふと、その下に、一枚のたぶん田舎で撮られたのだろう、屋外の簡素な牢獄と言うか、家畜用のような檻に入れられている農民風の男と、その鉄格子のそばで、まだ幼い粗末な服を着た娘であろう二人の幼い女の子が、裸足で指をくわえてたたずんでる写真を見つけた。その娘達には、父親が捕らえられてるという状況さえ判ってないのかもしれない。
  僕はその時初めて、こみ上げてくるものを感じた。大量の死体で金縛りにあっていた感情が息をし始めたのか、我慢出来ずに事務所を飛び出し、外の道路まで来て嗚咽してしまった。情けないが急いで涙を拭いて隠す。トレイシーがもらった資料を持って出てきた。
「なんだ、ここにいたの、もう見るに耐えないんでしょう」
  僕は無視してもう一度中庭に入り、セニョーラ達に別れを告げ、スエルテ(幸運を)と付け加えた。トレイシーと参謀本部に急ぐ間、あのスエルテという言葉が不適切でなかったかと悩み、そしてあの幼い女の子達を想っていた。あの事務所がまもなくスタートするクリスティアーニ新政権になると、潰されるかもしれないという。僕は何故か、この国にもう少し居たいと思った。トレイシーにもその旨を伝えた。参謀本部に着くと、トレイシーはまじめな顔をして、
「いい、これから私達は役者になるのよ、とっても嘘つきになるの、いいわね」
と言い、それから笑い出したのだった。
  だが、この日はほとんど門前払いであった。というのも必要なものは何も用意されてなく、僕が緊張しながら差し出した、運転免許証ならぬ記者証には、一目くれただけであった。

 

               5

 

公園でレイナと待ち合わせた。少し遅れて小走りにやって来た。アメリカのビザの件で知り合いにさっそく電話してみたが、ちゃんとした会社に勤めてて、収入を証明出来ないと無理なんですって、とすっかり諦めている。僕は、コネでもあるのかと思っていた店の客とやらの、その当たり前な返事に、おそらくそいつもずいぶん適当な奴だろうと呆れる。僕らはそんなに大きくない公園の中の落ち着いて話せるベンチを選んで座った。
「もういいの、ねえ、それよりあなたが行った他の国の話をして」
  僕が行った国の名をあげていくと彼女は驚いて
「どうしてそんな旅行が出来るの!あなたは日本の金持なの?」
と聞かれる。
「そうじゃないよ、日本でもアメリカでもメキシコでも働いてたんだ」
  日本の通貨が今とても強くて、日本に居れば物価が高くてちっとも裕福に暮せないんだけど、先進国以外の国を旅行するには都合がいいこと、そしてほとんどの国でビザを取る必要がないことを説明した。それからレイナに行った国の様子や出来ごと、印象に残った事など話した。
「ここで一生働いても私、隣のグァテマラさえ行けるかしら」
と、ため息まじりに言うのを聞いて、何だか申し訳なくなる。レイナはちょっとの間、何か考え込んでいると思ったら
「ねえ、それじゃあ、あなたが行った国で私みたいな女がいたかしら」
と突然聞かれた。彼女に似た風貌ということだろうか?
「自分の赤ちゃんにも会うことも出来ない、そんなみじめなバカな女が」
  僕はすぐには言葉が出てこない。
「正直言って・・・・・・僕はそんな女性と知り合ったことは無いけど、同じような境遇の人はいると思う。特に貧しいラテンアメリカには君のような女の人は多いと思うな。他の国はまだよく知らないんだ。でもレイナ、それは君がみじめでバカなことにはならないよ」
  僕は続けた。
「僕は日本から逃げ出すようにして、いろんな国を知ったけどそれだけ。だけど君は嵐のような現実にちゃんと向かい合って、その小さな体で受け止めている。そして一生懸命生きてる。それはぶらぶらよその国をほっつき歩いてる、僕みたいな人間よりよっぽど・・・・・・」
  巧く言えないが、何とか慰めてあげたい。
「レイナ、いつも悲しんでばかりじゃだめだよ、世の中には実際楽しいことも沢山あるしね、例えば僕がレイナと出会ったことだって、とても嬉しいことだし・・・・・・」
  辺りが暗くなってきたのを照れ隠しにして言った。すると彼女は
「まあ、私のような女とでも出会ったことが、嬉しいですって、私なんて何の価値もないのに」
と言う。
「本当のことだよ、それに貧しいから、今が幸せじゃないからって、これからもずっと不幸が続くわけない。それにね、人は一番苦しい時に一番大事な事に気付き、幸せで一番輝いてる時に、一番大事なものを失くすって言う人もいるよ」
「ねえ、知ってる?まだ昨日会ったばかりなのに、私にはあなたがとても良い人だって判るの」
「そんなことはないけど・・・・・・」
  レイナが少し元気になったように見えるのが嬉しかった。
「ううん、私そういうことだったら他の人より判るの、だから否定しないで、ほらまた、次は許さないから」
  それからも旅してきた中での失敗談や今だから笑える話をして、彼女はよく笑った。すっかり暗くなったので送って行こうとすると
「ダメダメ、あなたはもう帰らなくちゃ、外国人には危険よ、私は慣れてるから平気、ここでお別れしましょ、私の方がずっと近いんだから。また明日会えるわよね、きっとよ」
  彼女が公園の前の大通りの反対側の角を曲がるのを見届けてから、ゆっくり帰っていると雨粒が落ちてきて、あっという間に身動きのとれないスコールになった。あと少しなのに雨宿りをするしかない、レイナは間に合っただろうか。

                     つづく

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