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2017年5月8日月曜日

Me perdi en el Eden 体験記小説


 
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日曜日の正午、公園でレイナを待っていた。どうしたのだろう、彼女は今日の休みを一緒にいたいからと言ったのに。僕もとても楽しみにしていた。一時間たっても来ない。何かあったのだろうか、心配だ。もしかして何か彼女を傷つけることをしただろうか?思い出してみるのだが思い当たらない。
  あの夜、遠雷に時おり浮かび上がる彼女の後姿を見送った時、ふりむいた顔は光を集めてうれしそうに輝いてた。だからなおさら心配なのだった。この国では何が起こってもおかしくない。下宿に行ってみようか、でもすぐにレイナから、もうあの店には来ないでと言われたことを思い出した。おそらく急な仕事でも入ったのだろう。一時間半待って公園を出た。

 

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 夜、この頃みんなのたまり場になってる未亡人、サンタ(聖)・ドリス(彼女自身が皆にそう呼ばせている)の家に行くとトーマスやオーストラリア人ジャーナリスト、ケン、アメリカ人大学院生クリスが来ていて、テレビのニュースを見ながら皆で飲んでいた。ニュースでは今注目を集めているアンチ・テロリズム法についての論争をやっていた。
  この新法は新政権になる前から、アレナ党がその実行を公言していて、FMLNや反政府勢力の破壊活動を取り締まるというものだが、この法律が施行されれば今でさえ命がけのデモや抗議活動は壊滅的な打撃を受け、外出や集会の自由も奪われるだろうというのが反対する側の意見である。続く大司教へのインタビューでは、教会側がどのように答えるのか皆ビールを持つ手を止めてそれを見守った。
  その神父は、FMLNの武装闘争は支持してはいないと前置きし、しかしこの法律ではFMLN側のテロを防ぐことしか言ってないが、テロは彼らからだけではないと、もう一方の側のはるかに多いテロ、殺戮行為に対して批判したのだった。紛争地帯の村人、難民センター、国立エルサルバドル大学、イエズス会、中米カトリック大学、独立系新聞社、人権擁護委員会、労働組合連合本部の事務所などでの爆弾投げ込みや殺戮も、最初はFMLN側のせいにするが、軍、死の部隊のやったことだった。殺害予告してたとはいえ、八〇年三月にオスカル・ロメロ大司教が暗殺された時も認めず、アメリカとイギリスの記者が、その犯行にたずさわった者とのインタビューに成功し、死の部隊の犯行だということを証明しワシントンポストで報道した。そのためこの二人の記者はエル・サルバドルを去らねばならなかった。
  ニュースが終わってビールを買いに出て戻ると、トレイシーが来ていてしょんぼりしている。ビールを一本手渡しわけを聞くと、今のアパートの家賃が高いし、シェアしているカルロスが女遊びばかりして金を払わず行方不明で、家賃支払いが滞りそうだ。知り合いになったマリアの家に空き部屋があるというから、そっちへ移ろうと準備していた。
  だが、今日行ってみたらマリアから、申し訳ないが家主である叔母が、外国人ジャーナリストは皆FMLNのシンパだからいつか家に問題を持ち込む。それに電話を使うと盗聴されたりして迷惑だからダメだと言われ、断られたらしい。
  幾分誤解はあるにせよ、家族があれば心配なことでもあろう。それにトレイシーは多少無用心なところがあるしと、みんな思っているのだが、誰も言えないので僕が指摘すると睨まれてしまった。なかなか電話回線があって安いアパートはないらしい。そこで安ホテル住まいの僕とクリスにアパートをシェアする気はないか考えてほしいということであった。
  昨夜帰宅時に酔っ払いに襲われそうになったから送ってほしいと言う。途中で誘われてモラサン行きの相談もあるからと、安酒場に入る。ビールが来ると妙にかしこまった顔で
  「明日いよいよエスタード・マジョールへ行って許可証をもらって来るわ。私の勘だと許可が出るのはほぼ間違いないと思う。といって行けても軍側のテリトリーの最前線のオシカラという村までだけどね。その村に行くまでに、サン・フランシスコ・ゴテラ市の軍本部に行って、そこのコロネル(陸軍大佐)にまた許可をもらわなければならないの。でも首都でオシカラまでと言われたものを現場でその先までと頼んでも無理だろうし、あそこの状勢だと下手をするとオシカラまでも行けないかもしれないわ。もし行けたらゲリラ(正確には戦法のことだが、以後ゲリラ戦士、勢力)地域までアタックしてみましょ。前にチャラテナンゴで成功したから希望はあるわ。もっともその時と今では状況が大分違うけどね、もうあれから誰もゲリラ側との接触に成功してないの。まあ現場の雰囲気を見てからね」
「ところでトレイシー、もし僕らがゲリラ側に行けたとして、どうやって出てくるの?」
「そうね、入る方が難しいから今はそのことだけ考えればいいと思うわ」
  ちょっと不安ではあるが彼女を信じるしかない。でも何かとんでもない事を試みているような気もしないでもない。まあ乗った船、彼女の一大スクープの手伝いだ。それにしても本物のジャーナリストというのは凄いものだ。ケンやトーマスでさえビビッているのに、ましてやトレイシーは女だ。
  今回行くモラサン県は他の地域とは違うの。それだけは覚悟しといて。外国人のわれわれはここの人よりいくらか安全だったかもしれない。でもこの頃はこの国に来る旅行者も警戒されているわ。それにもう外国人の記者を含めて四〇人も記者が殺されてる。今年の三月には外国人記者三人が殺されたし、山へ近づけば危険は増すわ。以前チャラテナンゴでオランダの取材班四人が、ゲリラとの連絡役をしたと決めつけられて全員殺されてるの。私はこれまで何度か修羅場をくぐり抜けてきた。やばい時は笑顔がいい。笑ってる者は不思議と撃たないものよ。それに必要に応じて色気も使ってきたの。私一人の方が何かとやりやすいのはその点ね」
  そういえば色気はともかく、トレイシーは美人に見えなくもない。
「一度だけ本当に殺されるかと思ったことがあった。チャラテナンゴの山を一人で歩いていて軍の兵士に出くわしたの。その若い兵士は私を見つけるととんで来て私の腹部に銃口を押し付けたのよ。その男はブルブル震えていたわ。怖いのか、撃ちたくてしょうがないのか、もしかしたら彼自身、撃ってしまいそうな自分が怖かったのかもしれない。その時私はとっさに、頼むようにではなく、毅然としてその兵士が問いただす前に、私の方から彼にいろいろ質問したの。ああいう時は母親のように対応するのが一番よ」
  これは実践心理学だなぁと感心する。すると同時にそれが良い方法だったのかは疑問が残るが、現場を踏んだ彼女の言葉だから説得力はある。
「それからね、グアダルーペも一緒に行きたいって言うから連れて行くわ」
「なんだって、何を考えているんだ!もしかして僕らのカモフラージュにでも利用するつもりかい。ルーペ(グアダルーペの単称)はこの国の人間だ。彼女があそこの出身者なら里帰りとでも言えるけど、何でまた一番戦闘の激しいモラサンへなど来たんだって問われるよ。それによちよち歩きのガブリエラを連れて外国人の僕らと山へ入るのかい? 怪しすぎる、危険だよ」
  エル・サルバドル人は常に身分証明書を形態していなければならず、しょっちゅうバスから全員降ろされてチェックされる。先日など土砂降りのスコールの中でそれが行われていて気の毒に思った。
「それは私もわかってるわ。だからあなたの恋人ということにしたらどうかしら」
「そういう問題じゃない!誰が恋人を連れてあんなところに旅行するんだよ」
  だんだんと高めてきたモラサン行きの気概がしぼんでいく。まさに珍道中だ。
「許可なしで山へ入るのにエル・サルバドル人も外国人もないわ、見つかればつかまる前に撃たれる可能性の方が大きいんだから。それに先日、新聞で政治活動に関わろうとする外国人には、これより厳しく対処するという警告が出たばかりよ。あなたは日本人だから大丈夫ぐらいに思っているかもしれないけど、私が知ってる男性の話をしてあげる。その人とは昨年メキシコシティーの友情の家というユースホステルで知り合ったの。彼はあなたと同じ日本人よ。といっても実はブラジルの日系人。彼は医者で、この国のゲリラ側の地区に入り、村人を診ていたの。そして捕まり、外国の組織から送られた協力者として拷問を受けた。彼が言うには、その部屋にはネイティブの英語を喋るアメリカ人のCIAか、軍関係のプロフェッショナルがいて、拷問(アルゼンチン軍事政権からも五〇人を超える民衆弾圧、白色テロ、拷問のプロが軍事顧問団として、レーガン政権の要請で派遣される)の指揮をとったというわ。いろんな拷問を受け、しまいには電流を一方の極を歯に、もう一方を睾丸に付けられ,電流を流された。ついに自白しないとみるや、なにやら肺の機能が少しずつ弱くなっていく、白い薬を毎日飲まされたらしいの。その拷問者たちが聞くのは、おまえは北朝鮮の人間だろう?それとも日本赤軍か?と、執拗に問われ、言わないとみるや、そう言うんだと強制されたらしいわ。ちゃんとブラジルのパスポートを持っていたのに、どこで偽造したんだと信用しなかったの」
  僕は自分のパスポート(この頃)の最初のページに書かれている文章を思い出した。(このパスポートは朝鮮民主主義人民共和国を除くすべての国に有効であると認める)そんな日本人の僕が、いったいその国内で何をやってるのかさえ公表されない、国交のない国の人間にされたらたまったものではない。
「そしてね、体も弱って死を覚悟した頃、仲間から連絡を受けた国際赤十字に救出されて、その後メキシコに避難したというわけ。私が会った時は歯が抜け、肌はつやがなく、まるで死期の近い人のようだった。そして完全な性不能になってることを告白したの。肺の方も段々弱くなっていて、カナダにいい病院があるとかで、赤十字に協力してもらって連絡を待っているようだったわ。その後どうなったかは知らない」
  インポテンツという言葉が何故かおぞましく聞こえた。
「トレイシー、それ本当の話?」
「あなたを怖がらせるために、こんな話わざわざ作ると思ってるの。それからルーペの事だけど、やっぱり私は彼女の意志を尊重しようと思うの。彼女が行きたいと言うなら私は止めない。だって外国人に行けてこの国の人が行けないなんておかしいわよ」
  僕はこの時、ルーペの件がトレイシーの無計画さによるものではなく、僕らの文化の違いなのかもしれないと思った。堀江健一さんが小さなヨットで太平洋横断に挑戦しようとした時、日本政府は認めず、堀江さんはパスポートなし、密出国という形で出航するしかなかった。ただ前例がないからとか、安全を強調するだけではあの快挙はなかったのだ。今回のケースとちょっと違う気もするが・・・・・・。
  ビールを飲み干し、安全のために最善を尽くそう、と言って彼女に同意した。

 

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 大学へ行くとセルヒオがいて、四時から野党のリーダーで先日あの”死の部隊”に暗殺予告されている、ギジェルモ・ウンゴ氏の講演会があると言うので参加した。うまく聞き取れなかったのだがセルヒオの説明もあり、理解できたのは以下のような内容だった。
  保守(極右)政権の横暴と、北の巨人アメリカ合衆国の不当なてこ入れを非難し、多国籍企業とごく少数の富裕層による富の収奪から、いかに国民の生活を護るか。
  公正な選挙が行われていない現状において、全ての社会勢力が結集していかに改革をすすめるか、ということ。学生や知識人の社会的な役割、中米地域におけるエル・サルバドルの社会改革の意義など、を話していたと思う。
  そして学生や参加者との質疑応答で講演は活気づき、何かの話の中で氏は、そこにいた欧米人や僕を指し、外国人の共感に感謝すると言い、みんなと拍手をしてくれたのであった。
  講演も終わりに近づいたと思われる頃、突然大きな爆発音が二度あり、その後パキパキパキと銃撃戦が始まった。僕はビックリしたのだが、みんなけっこう落ち着いている。校内放送が聞こえて、音がするのと反対側の出口、正門の方から、落ち着いて速やかに退校するように放送がある。セルヒオに聞くと大学の敷地内ではなく、正門と反対側に隣接する兵営に、都市ゲリラが攻撃を仕掛けて銃撃戦が始まったと言う。流れ弾があるかもしれないので、みんな引き上げる。セルヒオと一杯やりたかったが、このあと道路が封鎖され、交通渋滞になるので残念だがまたにする。
  例によってひどい交通事情のもと、なんとかホテルに帰り着くと、番頭のチェぺ(ホセの愛称、ぺぺとも)が、にやつきながらセニョリータが待っていると言う。二階の奥の休憩場の椅子に座ってレイナが待っていた。
「お帰りなさいハポネシート(日本人の愛称)。ここだって言ってたから来てみたの、昨日はごめんなさい!」
と言って来れなかったわけを話しだした。
  昨日の朝、首都のはずれにある、伯母の家に同居しているレイナのおばあさんが、病気になって、彼女に会いたがってると突然連絡があった。それで大急ぎで出発して僕に連絡も出来なかった。ということらしい。僕が黙っているのを見て、怒っているのねと何度も聞く。チェぺの視線が気になるので、まだ暗くないし公園に行くことにした。
「本当にごめんなさい、おばあちゃんとこ行ってもずっと気になってたの。気が気じゃなかったのよ。怒って当然だわ、私だってとても残念だった。せっかく休めたのにあなたと逢えないなんて、どんなに楽しみにしてたか」
「バカだなあ、そんな大事な用なら謝らなくていいよ。怒ってなんかいないよ、本当に。それよりおばあちゃんの具合どうなの?」
「私はおばあちゃんの病気を呪ったものよ。でも着いた時は本当に具合悪くてびっくりしたの。それでもいつも行く行くって言ってばかりの私が来たのを見て、おばあちゃんとても喜んでくれて、それから随分良くなったのよ。伯母達も感心してた。信じられる?」
「信じるさ、だってレイナは周りの人を元気にするんだから。本当にいいことをしたね。心配したけどよかったよ」
「えっ、まさか私のこと心配してくれてたの?ほんとうに?」
「当たり前じゃないか」
「・・・・・・私のこと心配してくれる人がこの世にいるなんて」
「バカだね、おばあちゃんだって、そうだから会いたがってたんじゃないか。それにね、君が追い出されたと思ってるお父さんだって、きっと心配でしょうがないに決まってるよ」
「そうかしら」
「自分の経験から分かるんだ。高校生の時にね、親父と喧嘩して家出したことがあって、あの憎たらしい親父が一睡も出来なかったんだって。前から言おうと思ってたんだけど、両親に連絡とるべきだ」
「でも今の私には、何もない」
「なんだって、そんなこと何の関係もないよ。それにとんでもない勘違いだよ。例えば僕がレイナからどれだけのことを学んだと思ってるんだ。元気ももらってるしね、嘘じゃない」
「私から?こんな私が誰かに何かを教えることが出来るですって、人を元気にしたり?」
「そう、だからもう自分のことを卑下するのは今日で終わりにしよう。今度また同じことを言ったらひっぱたくよ」
「ありがとう・・・・・・。あのね、おばあちゃんがね、私が前より明るくなったって。元気になったって。そして大人になったっていうの。もしかしてあなたのせいかな」
  そうだとしたらどんなに嬉しいことか。僕こそ、日本に帰れば社会復帰もむずかしい何の取り柄もない男なのだ。そんな僕が地球の反対側に住む(罪と罰)のソーニャのような娘に、幾ばくかの元気を与えられたとしたら・・・・・・。世界を変える力なんてかけらもない男には、ちっちゃいけどこんな充実した歓びはないのだ。僕はこの国に来て初めて幸福を感じていた。
  レイナが少し怒った顔つきをして突然言った。
「さっき私に、ひっぱたくって言ったわよね」
「いや、あれは、なんていうか、たとえばの話で、つまり、本心じゃないんだ」
「ねえ知ってる?全然怖くなかった。ふふふ」  


                                                 つづく        
 

2017年5月7日日曜日

Iberico 豚をさがして




  よく人は誰かを侮辱するにあたって、豚野郎!と言い方をする。世界の豚の年間屠殺数推定132200万頭(2004) 数年前通訳をたのまれてスペインのイベリコ豚を求めて放牧場や屠殺、解体工場をまわった時に大きなショックを受けた。
   早ければ半年ほどで規定の体重に達した豚は、飼育場から屠殺場に隣接する囲いに押し込まれ、食事なしで一日捨ておかれ腸内のものを排出する。翌早朝より一頭のみ通れる柵で仕切られた死の通路に追い込まれる。その先には金属の大きな箱があって後戻りできず暗いその入り口に入っていく。奥まで進むと電気を浴びせられ仮死状態となる。箱の向こう側で待ってる作業員が後ろ足蹄近くに鉄のかぎ針をかける。
   吊るされた豚はこの世に舞い戻る前に次に待つ作業員にすぐ喉、頸動脈を鋭利な包丁で切り裂かれる。この時点でまだ頭は辛うじてぶら下がている。バサーという感じで体内の血がこぼれ落ちていく。床はすぐに血の海となる。作業員は息をつく間もなく次の豚の処理が待っているのでその豚を押しやり、豚は次の機械の箱へと天井のレールで流れていく。そこで熱湯を浴び体毛を落とすが完全に落ちないのでさらに次のバーナーの機械で焼かれる。強烈な匂いと熱気が立ち込める。血抜きを終え冷やされた肉塊たちは、また別のヒンヤリとした大部屋に流れ、そこで待ち構えた大勢の作業員により頭部、内蔵を取り除き、腿、各部位と手際よく解体されていく。

   前世期末より著しく生産が伸びたのは鶏肉だ。小型の家畜で扱いやすく品種改良されたブロイラーはわずか7・8週間で出荷できるらしい。効率面だけでなくアメリカで盛り上がった動物愛護運動が大型家畜の飼育環境改善なども微妙に影響したこともあるらしい。しかし安い肉の供給には犠牲がともなう。

   アメリカや日本で次々と闘鶏が虐待だ残酷だと禁止されるなか、羽をむしって頭と肢を落とし、内臓をかき出し血抜きをした後の肉の量が7割を超えるという、新種ブロイラーの一生はダンテの神曲“地獄篇”の様相を呈する。急激に増す体重に骨の成長がついていかず、肢はネジ曲がって腱断裂、関節炎に激しく痛み、歩行困難で床にうずくまるため、糞尿にまみれ醸成されるアンモニアで胸部水腫、皮膚病、眼病、心臓疾患、高ストレスで短い一生さえ全うできずに、金属の狭い檻の中で突然死するものも。世界の鶏の年間屠殺数、推定376億羽(2004年)。

chicken harvester

   絶滅させてはならないが、ちなみに100トンのしろながす鯨一頭で7万羽の鶏と同量となる。命の数、1対70000としないのは人間の都合。

   Facebookでペットと一緒に写真をアップし、改善したとはいえ年間10万匹以上の殺処分に怒る(同感)知り合いが、同時に今日はフレンチレストランで子牛肉のクリームソテーをいただきましたとアップデートしたりするのに少し違和感を感じつつも、いやいや犬猫と家畜とは違うといいねをクリックする。また地域、文化が異なれば犬肉が喜ばれ、牛肉や豚肉が、神聖なもの、不浄なものとして敬遠されたりする。
  愛される犬たちは狼を先祖に人類の都合により用途、流行に合わせ品種改良されて大きな頭、ミニチュアな体、へしゃげた顔面、短い肢。いまや愛らしく家族の一員として表札にさえ名を連ねる。人造犬たちは同時に敏感肌、呼吸疾患、股関節痛、短命など宿命の十字架を背負う。

   日々、家畜を出荷する業者も、できる限り無駄なく、またどの部位も捨てることなく提供する努力をし、消費者も常々飽食は慎み感謝して残さずに食べよう、それがせめてもの我々人間が家畜にできることだと、、、。でもやはり人間の言い分、都合である。それでも僕らはこれからも、誰かの命日など思い出すほかは肉を食うだろう。

   囲い場から追いたてられ、高圧電力の装置の箱に歩む豚たちはなんの躊躇もなく進むわけではない、前に入った豚の悲鳴、気配から死を感じるのか反転し戻ろうとする。すると直ちに電気の棒を当てられるので引き返せない、進むしかない。豚も感じ、考える、そして我々と同じ命を持つ。なにが言いたいのだ今さら?!
   あの屠殺解体工場訪問から豚の叫び声が聞こえる。この豚、もとい、人間野郎め!                                                         


2017年5月6日土曜日

Me perdi en el Eden



              9

 

 夕方いつもの待ち合わせ時間に公園に行くと、十分ほど遅れてレイナはやって来た。汗のにおいがする。シャワーを浴びる暇もなかったのだろう。今日は公園内を、肩に自動小銃をかけた軍の兵士がうろついている。レイナの表情は明るく、早速今日の報告をする。
「ありがとう、昨日の件はあなたのおかげで片がついたわ。本当にありがとう、次の給料日には必ず返すから」
「無理しなくてもいいよ、この前聞いた給料じゃ暮らしも大変だろうから。どういうふうに使ってるの?」
「部屋代六〇コロン(約一〇ドル)、食費が一〇〇コロンでほとんど残らない、でも大家のおばさんの店を時々手伝っていくらか貰ってるから」
「僕に返せば何も残らないじゃないか」
  僕にとってはわずかな金で返さなくてもいいと思った。最低賃金が法律で定められていても、失業率が高いのをいいことに守らない経営者は多いらしい。
「食べていくのがやっとで、赤ちゃんに仕送りなんてまだ一度も出来ないわ」
「レイナ、もっと収入のいい仕事があるんじゃないの、仕事を変える気はないの」
「そりゃあ、例えば事務の仕事ならもっと給料はいいけど、私は小学校もまともに行けなかったから働けないわ」
「でも店員だってウエイトレスだって、今の仕事よりいいんじゃないの?」
「以前セントロの靴屋で働いていたの。でも給料は少しよくても今の工場のように昼食が付いていないから。そしてウエイトレスの仕事は、食事もあるけど嫌なの」
「どうして?」
「それはね、客の男たちは食堂なんかで働く女をちっとも人間らしく扱わないの、お酒が入るとすぐ体を触ってきたりするのよ。いまは生活が苦しいから夜時々お店を手伝っているけど、早く止めたいわ」
  レイナはすこしの間、黙っていたがまた話だした。
「私、夢があるの。何とかしてお金を貯めて・・・・・・ねえ笑わないで聞いてくれる?私、職業学校に行きたいの」
「バカだなあ、笑うわけないだろ」
「私が生まれたサンタ・アナの父が借りてた家の近くに美容室が一軒あったのね。私は暇をみつけてはそこへ行って、お姉さん達が魔術師のようにお客さんの髪を切ったり整えたりするのを見ていたの。そして、お客さんが見違えるようになって、気持ちよさそうにお店から出てくるのを見て、私、大人になったら絶対にお姉さん達みたいになるんだって!・・・・・・小さい時からの私の夢だったの」
「レイナ!素敵なことだよ、夢なんかじゃない。きっとその仕事に就けるよ」
「さあ、今度はあなたの番よ、あなたの夢を聞かせて」
 僕は思いもしなかった問いかけに困ってしまった。いい年こいて、夢などなかったのだ。いやあった・・・・・・。ラスベガスでギャンブル漬けの日々が思い出される。必ず必勝法を見つけ出し、知る人ぞ知るギャンブラーになること。そしてその金でリッチな旅をして暮らし、世界中のカジノを渡り、また旅を続ける。親が知れば張り倒されそうな僕の夢は、ここだと思ったあの日の大勝負で、有効だと信じきっていたテクニックは機能せず、逆目にきて瓦壊した。思い出したくもなかったし、そんなこと話せるわけがない。レイナのすばらしい夢の話を汚してしまうだけだ。
「僕のはそのうち話すよ、それより美容師になる話、もっと聞かせて」
「ありがとう、あなたと出会ったから諦めかけてたことがまた甦ったの」
「その職業学校、絶対に行くんだよ、いつからなの?」
「再来週からだけど、今回は間に合わなくてもいいの、六カ月後にまた受付あるから、まずお金を貯めなきゃ」
「費用はいくらかかるの?」
「市が後押ししてるから思ったより安いの、申し込み金が五〇コロンで、週二回で五ヶ月二五〇コロンよ」
「レイナ、さっき僕の夢は何かって聞いたよね」
「聞きたいわ!」
「僕は末っ子でずっと妹が欲しかったんだ。レイナみたいな働き者の妹がいたらいいなと思って。だから・・・・・・僕にその費用出させてくれないかなあ。ふざけた話だけど日本人の僕には大した額じゃないんだ。もし嫌だって言うんだったら貸すから後で返してくれたらいいから」
  彼女はちょっと驚いたようにこっちを見た。
「それともこんな怠け者の兄貴じゃ嫌かい?」
「うれしい、うれしいけどあなたは旅行者だからお金は持ってなきゃいけないわ、それに私は・・・・・・妹なんか嫌よ」
  僕は真剣な表情で見つめられておたおたした。キラキラする大きな目とふっくらした唇がすぐ近くにあった。

 

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 朝八時からはじまるというから、トレイシーのアパートに急いだ。アメリカ人のフリーランスのトーマスも来ていて、今日はバスがストなのでわずかしか走っておらず、三人でタクシーを割り勘して行くことになった。トーマスは朝の四時までドリスの家で飲んでいたと言う。三人で市の南にある国際見本市会場に着いたときは、とっくに八時をまわっていたが、式典はまだ始まっていなかった。会場前の広場には、すごい数の兵士が警備にあたっていて、式につめかけた招待客、参加者が長い列を作っている。その連中を僕は最初、外国から来た参列者かと思っていたが、どうもこの国の上流階級のようだ。一流のスーツや礼服、ドレスを着た白い肌、金髪の目立つ人々。
 この日のためにわざわざ帰国した人々が少なくないという。エル・サルバドルの農場主やコーヒー農園主、企業主はアメリカ合衆国のマイアミなどに住み、そこから自分の財産とビジネスを経営、管理しているという。僕らはその列を横切って中へ入ろうとしたが、すぐに兵士が飛んできて広場の一角に連れて行かれ、他の記者たちがしているように、バッグを開けて手荷物を地べたに陳列するように言われた。見れば危険物などないのは一目瞭然なのにそれだけでは終わらない。やたらでかいシェパードを連れてきて、コンクリートの床に並んだバッグやカメラの間を歩ませる。犬はクンクンと匂いを嗅ぎながらすいすいと進んでいく。
 ここに来るにあたって、きちんとした服など一枚も持ってない僕は、比較的こぎれいなYシャツと、二本しかないが破れてない方のジーンズという格好で来たのだが、一つしかないリュックサックは洗濯することなどなく、他の記者たちの物と比べても場違いな感じがするし、カメラさえ持っていないのもおかしい。まあ、すぐに終わるだろうと思っていたら、ピタッと僕のリュックサックのところで犬が止まった。
  そして中身はすべて出しているにもかかわらず、僕のリュックサックをしつこく嗅ぎ始め、まるでご無沙汰のメスの匂いにでもでく合わせたかのように恍惚としている。終いにはそのでかい頭をナップサックのなかに突っ込み、職務さえ忘れてしまったようだ。犬係の兵士も困ったみたいで、力いっぱい引っ張るも犬は負けじと踏ん張り、未練がましく動こうとせず、これまでのエリート犬という肩書きかなぐり捨てて、愛に生きようとするかのようだ。何か特別な匂いが醸造されているのだろうか?そういえば僕はいつもパンやチーズ、ハムなどこのサックの中に入れて持ち歩き、旅の間エンゲル係数と格闘していたのであった。
  どうにか兵士二人がかりでこの馬鹿犬を引き離し、念のためサックを逆さにして中を確認するも、こぼれ落ちるのはパンくずのみであった。エリート軍用犬どころか、この犬は僕と同じ落ちこぼれの犬だったのであろうかと思うと、可愛くもあり、引きずられていく姿は哀れでもあった。やっとここをパスし、外階段二階の踊り場でもう一度チェックを受けて中に入れた。そこは二階といっても手すりの付いた通路がぐるっと回った吹き抜けで、一階が見下ろせるようになっていた。一階にはたくさんの椅子が並んであって、上流階級の人々が続々と入場している。僕も早く席を取らねばと一階に下りようとすると、一階は特別な方々と招待客だけだ、と兵士に止められた。
 二階から見る光景は、ヨーロッパ貴族の舞踏会か結婚式でも始まるかのようだ。ほとんどが白人だ。セントロでこんな連中に会うことはまずない。生活圏が完全に分かれているからだろう。後部座席にわずかに褐色の人達がいるだけだ。そして会場を警備している兵士達もほとんど褐色だ。しばらくすると前の列を残してすべての椅子は埋められた。まだクリスティアーニは入場して来ない。いいかげん待たされたので、もったいぶらずに早く来ればいいのにと思っていると、突然大拍手が起こる。みんなの視線の先を見ると、満席の会場の真ん中に開けられた通路を、堀の深い陽に焼けた顔がギラギラする、脂ぎった男が妻子を連れて後部から入場して来た。誰だろう?新聞で見たクリスティアーニとは違う。
「あれがドアブソンよ!(ロベルト・ダビュィソン。エルサルバドルではドアブソンと発音していた)」
  いつの間にかトレイシーが後ろに来ていた。
「彼が極右アレナ(ARENA)(国民共和同盟)の実質的ボス、影の大統領なの。自分自身が 大統領になるはずだったんだけど、エスクアドロネス・デ・ラ・ムエルテ(ESCUADRONES DE LA MUERTE)(死の部隊)を使った暗殺など、余りにも強引なやり方に、アメリカ政府が反対して大統領にはならなかった。つまりクリスティアーニはドアブソンの傀儡みたいなものよ」
「人権委員会の事務所で見た暗殺、殺戮を指揮してる男?」
  トレイシーはその男から目を離さずにうなずいた。するとこの拍手はドアブソンと部下達がやってきた無数の処刑、殺戮に対する、また今後いっそうの継続に対する賛美と言うことになるが。
  彼は正面の一段高いステージに上がり参加者と向かい合って座った。再びの拍手でいよいよ新大統領の登場かと思ったら、アナウンスによると、隣国のグァテマラ(国内にて凄まじい虐殺を行う。当時中南米においてチリ、アルゼンチンの軍事独裁国と共に国際反共連盟の中核をなす。統一教会の文鮮明がスポンサー)、ホンジェラス、コスタリカの大統領や代理のお偉方の入場である。彼らのにこやかな表情からは、自国も似た問題を抱え、あるいはニカラグアという社会主義にひっくり返った国を挟んで、万が一にもエル・サルバドルがひっくり返るような事態にでもなっては、たまったものではないのでしっかりやってくれと励ましに来たのか、それとも単なるお付き合いで、招待状がきたので断るわけにもいかず、用が済んだらこの物騒な国を早く出たいものだと思っているのかはよくわからない。
  その後も、各国の大使館からの招待者が続く。その中でも絶大な拍手に驚かされたのは台湾とイスラエル(アメリカ合衆国は批判をかわすため、イスラエルから大量の兵器を輸出)であった。特に台湾の来賓人数と拍手はズバ抜けていて、拍手だけではおさまらず、途中から手拍子に変わってしまった。中国の圧力で国連で国として認められない台湾を、一貫して指示するエル・サルバドルや中米諸国の立場には僕も賛成だが、軍事政権への経済投資、援助ゆえか、僕の好きな国でもあり少々残念な気もする。
  反対にニカラグアの代表は女性一人の出席であったが、誰一人として拍手しない。しかしそんな雰囲気の中、彼女は背筋をぴんと伸ばし胸を張って歩いていく。その毅然とした態度は、この退屈な儀式の中で唯一感動的なものであった。別にニカラグアに思い入れがあるわけではない。だが、招待状は一応出したがまさか来るとは思わなかった、何しに来たというような視線の中、堂々と闊歩する彼女に僕は二階から拍手したかった。だが、後ろにも横にも自動小銃を持った兵士がいて、つまみ出されるか引っ張って行かれかねないし、取材記者という立場でそれも不自然だろう。
  アメリカ合衆国の最も多い出席者が入場してきた。軍事面のすべての援助を担う国の招待客としては、ドアブソンに気を使っているのか拍手がまばらで思ったより少ない。アレナ党の立役者のドアブソン自らの大統領立候補に待ったをかけ、武器も出すが口も出すうるさい兄貴というか親父のような煙たい存在なのだろうか。最後に最前列の空いた椅子に、カトリックの司教たちとプロテスタントの牧師が一人座り、これで全員揃ったようだ。
  けたたましいラッパが会場内に響き渡り、軍人達が仰々しく銃を捧げ筒する。いよいよ“イブのいちじくの葉“、クリスティアーニ の入場だ。割れんばかりの拍手、大喝采の中を、長身で頭髪の薄い新大統領が、両サイドの出席者からの熱い視線を受けながら正面へ進む。各派の司教達の祝福をうけ、壇上に上がりドアブソンに抱擁で迎えられ、やっと正面中央の椅子に落ち着く。軍人達が足を高々と上げる行進で、ステージのクリスティアーニや閣僚達の横に、銃を下ろして直立不動でおさまった。以後、前大統領ドアルテとのたすきの交換、何やかやあって初心演説が始まった。ドアブソンはそれを満足そうに見つめている。(のちに彼はクリスティアーノを暗殺しようとするが失敗)
 実に長い退屈なスピーチの始まりだった。僕は二階に設置されたスピーカーの間近で演説を聴いていたのだが、うとうとしてしまい、周期的に新大統領が興奮して叫ぶ時、スピーカーが大声を処理する能力を超え、破裂するような音がして目が覚める。その直後、聴衆の大拍手にスピーチが止められ、また退屈な演説が続く。トレイシーがやって来て、やばい、叱られると思ったら
「本当に退屈ね、私ちょっと外に出てくるわ」
と出て行った。見るとトーマスも寝不足と二日酔いであくびばかりしている。僕も集中力などないのだが、それでも同じ言葉が繰り返し出てくることから、大まかな内容は理解できた。
「国民すべてが結集し力を合わせ経済規模を拡大し、友好国の投資を呼び込む。そのためにも新政権は治安の維持に全力を注ぎ、この国のみならず中米地域の安定に貢献し、神の国エル・サルバドルに経済発展と平和を実現させる」
「しかし、それを妨げるコムニスト達(批判、抵抗勢力は一まとめにして、共産主義者、テロリストと呼ぶ)には厳格に対峙し、徹底的にこれを一掃する」
 演説内容はともかく、この儀式はわかりやすくていい。まず金持ちしか来てないからクリスティアーニ新政権が金持ちの利益の代表であること。そして儀式の進行の節目ごとに軍兵の仰々しい動作が入り、会場の内外、至る所に兵士と警官が警戒している。さらにその周囲には有刺鉄線が張り巡らされていて、政府と一般民衆との距離は遠く、その間にも目に見えない有刺鉄線が張り巡らされているかのようだ。
  この日、FMLNはアレナ党の無効選挙、新大統領就任に抗議し、コマンド・ウルバーノ(都市ゲリラ)が送電塔爆破、停電。


                               つづく

Parque de las leyendas ペルー リマの動物園


 







この首都リマの広大な、ラス レジェンダ 公園(動物園)には、アンデスとアマゾン(ペルーの国土の6割はアマゾン)の動物たちがいっぱい!

Me perdi en el Eden


                          

 
 
 二回目の参謀本部での申請も失敗。僕が働いているということになってる“東京ニュース”の書類があるわけなく、オーストリアン紙の現地契約カメラマンという形しかないようだ。一番の問題は何といっても記者証ならぬ運転免許証だ。いくら何でもこのままコピーして提出するにはあまりにもなめている。あとの必要書類はトレイシーにまかせるとして、僕はさっそく彼女のアパートで記者証の細工を始めた。
  一度濃い目にコピーした免許証の、名前、住所、有効期限などは問題ないが、日本語が解かれば明らかに運転免許証とわかる部分を修正液で消し、申し訳のように東京ニュースと定規を使ってゴシック体に書いた。だがどう見てもずれている、こんなもの日本人が見たら、大笑いするだろうと思うと赤面してしまう。またコピー屋に行って十枚ほどコピーして持ち帰り、何度も何度も失敗を重ね、ついにそれらしきものが出来上がった。喜んでそれをコピーしたら、今度は修正液のあとが写ってまた失敗、さらに薄くコピーしてみたら顔写真がぼやけておかしい。そこで修正液の代わりに紙を切って貼ってコピーしてみたが、紙のふちが線になって貼ったのがわかる。
  また修正液に戻る、あまり盛り上がらぬように、一はけで決まったものを三枚ほど残し、それをコピーするがまだ液のあとが写るので少しだけ薄くコピーするしかない。だが顔写真の薄さと文字のそれとのギャップはいかんともし難く、そこで考えたあげくコピーの顔写真の枠を切り取り、そこに免許証の顔の部分を合わせてやってみた。するとしっくりくるのだがやはり写真枠の四角い切り口が影をつくる。
  しかしこれしかないと思った。コピー屋に何度かまた足を運び、終いには店の親父のアドバイスを入れ、二人で作業したあげくついに最高のものが出来た。夜になっていた。親父さんに礼を言い、おつりをチップにあげてひきあげた。トレイシーに見せたら何と言うだろうか?合格するだろうか?もうこれ以上のものは作れない。慣れない作業で疲れ果てた。
  彼女のアパートに戻るとオスカルとケリー、それにトレイシーのエル・サルバドル人の友人、ドリス、グアダルーペが来ていてビールを飲んでいた。おずおずと僕の最高傑作をトレイシーに見てもらうと、彼女は目を丸くして
「ワオ!なんてステキな記者証なんでしょう、これでばっちりよ!」
と感嘆してみんなに見せ、はしゃいでいる。そんな態度がかえって僕を不安にさせるのだった。それからみんなに
「今日ふとしったら参謀本部でそわそわして、落ち着きがないのよ」
「そんなことはないよ、あれは僕の癖で同じ姿勢でいるのが嫌なだけだよ」
「それからもしバレたらどうなるんだろうって聞くから、私はどうもならないわ、日本語わからないから、あなたに私もだまされたって言えばいいもの。でもあなたはおそらく連行されて拷問され、取調べられるかもねって言ったときの彼の顔、みんなに見せてあげたかったわ」
と、それからもさんざん酒の肴にされ、夜も更けおひらきとなったのだった。みんなが帰った後、トレイシーは
「ふとし、あなたが決めることよ、私はどっちでもいいの。モラサンに行くにしてもどっちかと言うと私一人のほうがいいの。山に行くにしても女だと態度も和らいで通してくれるかも。だからあなたが決めればいいのよ、モラサンに行くか行かないかは」
  などと言ってにやついている。今更引けないことはわかっているくせによく言いやがる。なんて狡賢い女なんだろう、そもそも彼女がいろいろ手伝ってほしいからと言ったのだ。

 

              7

 

遅くなったがレイナと約束した公園に急いだ。大学の前でバスを待つが都市ゲリラのバス放火が続き本数の減ったセントロ行きは、来るバス来るバス満杯で昇降口にも人がぶら下がっている。何本かやり過ごしやっと乗れたと思ったら、街は軍の警戒もあってすごい混雑ですっかり遅くなってしまった。
  僕は公園に向かわず直接彼女の下宿に向かうことにした。ちょっと気がひけたが店の前まで来ると道路に面した、食堂兼安酒場といった店内の、まだ客のいないテーブルに独りポツンとレイナが座っていた。
「遅くなってごめん」
  店に入って行った僕に気付くと彼女は一瞬驚いたように、下を向いてしまった。そばに座ってまた謝ってもよそよそしい。怒っているのか?いや、どこか怯えているようにも見える。何も注文しないのも悪いと思ったので、コーヒーを頼むとないと言うのでビールにする。
「レイナ何か飲む?」
「私はいいわ」
「どうしたの、元気がないね、僕のせいかな?」
「そうじゃないの・・・・・・実はね今日仕事中、商品を落として壊してしまったの」
「それでどうするの?」
「上司が怒って一〇〇コロン払って弁償しなければ、たぶん会社を追い出されてしまうかもしれない、あいつ、前からいつも嫌なことばかり言ってくるの」
 それはセクハラのことかもしれない。それでどうするんだと聞いても答えはないだろう。
なんとかしてあげたい。そうだ、手元には昨日ブラックマーケットで替えたばかりで、ま
だ九〇コロンほどある。レイナに今いくら持ってるか聞くと二五コロンあると言う。僕は
まわりに見られぬように八〇コロン出して彼女に渡した。レイナはそれに目を落とし
「えっ、本当に・・・・・・いいの」
と、やっときれいな瞳を輝かせた。
「給料日には必ず返すから」
と、いつの間にか店にいた二人の女性達には見られぬように、お金をポケットにしまった。
「いつだってかまわないよ、気にしないで、もう帰るから今夜はゆっくりお休み」
と言って勘定して店を出る、彼女もここでは気まずそうだ。
「明日も六時に公園で待ってて、,明日遅れたら許さないから・・・・・・ありがとう」
 店を出て歩きながら振り返ると、レイナがまだこっちを見ていて手を振った。




               8

 
 
先日言われたように、トレイシーは新たな申請書と僕との契約の必要書類、僕はパスポートのページから、東欧の社会主義国を外したもののコピー二枚ずつ、白紙のページはコピーしなかったということにした。この日はクリスティアーニ新政権の発足会が近いというので、各国の記者やテレビ関係者がつめかけていた。待っている間セニョーラがどんどん記者証を出すのを見て、なんだか自分ももらえそうな気になってきた。スペイン人の記者たちが出て行き、やがて僕らの番がやってくると、トレイシーがささやく。
「いい、人生はテアトロよ、あなたも立派な俳優になってね!」
  セニョーラとの厳しいやり取りを予想したが、実にあっさりとしたものであった。ただ僕のは期限が二週間と短く限定されている。結局僕らが最後になったので、審査もほどほどで日本についての雑談になった。身内に若いころヨーロッパのあちこちで仕事して日本にも行ったことがあり、五カ国語が話せる叔父がいて、よく日本の話をしてくれたとのこと、その叔父は少し日本語も出来ると言う。それを聞いて一瞬びっくりしたのだが、セニョーラの年齢を考えてもその叔父はかなり高齢であろうし、万が一その叔父が僕の最高傑作を見ることがあっても、日本の印刷物のレベルも落ちたなぁ、ぐらいの感想であろう。すでに現地記者証はもう手に入れたのだから、僕らは礼を言って参謀本部を後にした。
  トレイシーがまだ間に合うからこれからこの国の唯一の高級ホテル、シェラトンに行ってこの記者証を見せれば、明日のクリスティアーニ新政権の、セレモニーに入れる身分証明書を作ってくれるからと言うのでバスに乗った。腰掛けて一息ついていると、彼女はバサバサとバッグの中から一枚の紙を取り出して、はいっ、と言って僕に差し出す。なんだろうとそれを見ると、なんとそれは、僕のあの最高傑作であった。
「いったいどうしたんだ、これは提出したはずじゃないか!」
「ちょっと心配になったから抜いといたの」
  トレイシーは知らん顔で答える。
「まあ、一度提出した書類など見ることはないのよ、保管しとくだけだから」
「そんな!じゃあ心配ってどういうことなんだよ?」
「それをもう一度良く見てごらんなさい」
「なんだよ、わからないよ、言ってる意味が!?」
「それ、あまりにもひどくない?まあ万が一のことを考えてやっぱり出さない方がいいかと思って」


                               つづく

 

2017年5月4日木曜日

Lima a Cusco ペルーのリマからクスコへ

ペルーの首都リマから、クスコへバスで24時間。標高が上がると頭痛に悩まされる。となりのセニョーラが高山病の薬をくれたのでバス内で配られたマテ デ コカ (コカの茶) を飲む。かつてのインカの帝都クスコに着いて治まらぬ頭痛をかかえてペンション八幡(7百円)に チェックインするとまたコカの葉を煎じてだしてくれた。数時間すると気分が良くなったので、コカの葉を噛みながら街に。

街には小さな旅行代理店がたくさんあり、いろいろな格安ツアーがいっぱい。