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2017年5月8日月曜日

Me perdi en el Eden 体験記小説


 
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日曜日の正午、公園でレイナを待っていた。どうしたのだろう、彼女は今日の休みを一緒にいたいからと言ったのに。僕もとても楽しみにしていた。一時間たっても来ない。何かあったのだろうか、心配だ。もしかして何か彼女を傷つけることをしただろうか?思い出してみるのだが思い当たらない。
  あの夜、遠雷に時おり浮かび上がる彼女の後姿を見送った時、ふりむいた顔は光を集めてうれしそうに輝いてた。だからなおさら心配なのだった。この国では何が起こってもおかしくない。下宿に行ってみようか、でもすぐにレイナから、もうあの店には来ないでと言われたことを思い出した。おそらく急な仕事でも入ったのだろう。一時間半待って公園を出た。

 

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 夜、この頃みんなのたまり場になってる未亡人、サンタ(聖)・ドリス(彼女自身が皆にそう呼ばせている)の家に行くとトーマスやオーストラリア人ジャーナリスト、ケン、アメリカ人大学院生クリスが来ていて、テレビのニュースを見ながら皆で飲んでいた。ニュースでは今注目を集めているアンチ・テロリズム法についての論争をやっていた。
  この新法は新政権になる前から、アレナ党がその実行を公言していて、FMLNや反政府勢力の破壊活動を取り締まるというものだが、この法律が施行されれば今でさえ命がけのデモや抗議活動は壊滅的な打撃を受け、外出や集会の自由も奪われるだろうというのが反対する側の意見である。続く大司教へのインタビューでは、教会側がどのように答えるのか皆ビールを持つ手を止めてそれを見守った。
  その神父は、FMLNの武装闘争は支持してはいないと前置きし、しかしこの法律ではFMLN側のテロを防ぐことしか言ってないが、テロは彼らからだけではないと、もう一方の側のはるかに多いテロ、殺戮行為に対して批判したのだった。紛争地帯の村人、難民センター、国立エルサルバドル大学、イエズス会、中米カトリック大学、独立系新聞社、人権擁護委員会、労働組合連合本部の事務所などでの爆弾投げ込みや殺戮も、最初はFMLN側のせいにするが、軍、死の部隊のやったことだった。殺害予告してたとはいえ、八〇年三月にオスカル・ロメロ大司教が暗殺された時も認めず、アメリカとイギリスの記者が、その犯行にたずさわった者とのインタビューに成功し、死の部隊の犯行だということを証明しワシントンポストで報道した。そのためこの二人の記者はエル・サルバドルを去らねばならなかった。
  ニュースが終わってビールを買いに出て戻ると、トレイシーが来ていてしょんぼりしている。ビールを一本手渡しわけを聞くと、今のアパートの家賃が高いし、シェアしているカルロスが女遊びばかりして金を払わず行方不明で、家賃支払いが滞りそうだ。知り合いになったマリアの家に空き部屋があるというから、そっちへ移ろうと準備していた。
  だが、今日行ってみたらマリアから、申し訳ないが家主である叔母が、外国人ジャーナリストは皆FMLNのシンパだからいつか家に問題を持ち込む。それに電話を使うと盗聴されたりして迷惑だからダメだと言われ、断られたらしい。
  幾分誤解はあるにせよ、家族があれば心配なことでもあろう。それにトレイシーは多少無用心なところがあるしと、みんな思っているのだが、誰も言えないので僕が指摘すると睨まれてしまった。なかなか電話回線があって安いアパートはないらしい。そこで安ホテル住まいの僕とクリスにアパートをシェアする気はないか考えてほしいということであった。
  昨夜帰宅時に酔っ払いに襲われそうになったから送ってほしいと言う。途中で誘われてモラサン行きの相談もあるからと、安酒場に入る。ビールが来ると妙にかしこまった顔で
  「明日いよいよエスタード・マジョールへ行って許可証をもらって来るわ。私の勘だと許可が出るのはほぼ間違いないと思う。といって行けても軍側のテリトリーの最前線のオシカラという村までだけどね。その村に行くまでに、サン・フランシスコ・ゴテラ市の軍本部に行って、そこのコロネル(陸軍大佐)にまた許可をもらわなければならないの。でも首都でオシカラまでと言われたものを現場でその先までと頼んでも無理だろうし、あそこの状勢だと下手をするとオシカラまでも行けないかもしれないわ。もし行けたらゲリラ(正確には戦法のことだが、以後ゲリラ戦士、勢力)地域までアタックしてみましょ。前にチャラテナンゴで成功したから希望はあるわ。もっともその時と今では状況が大分違うけどね、もうあれから誰もゲリラ側との接触に成功してないの。まあ現場の雰囲気を見てからね」
「ところでトレイシー、もし僕らがゲリラ側に行けたとして、どうやって出てくるの?」
「そうね、入る方が難しいから今はそのことだけ考えればいいと思うわ」
  ちょっと不安ではあるが彼女を信じるしかない。でも何かとんでもない事を試みているような気もしないでもない。まあ乗った船、彼女の一大スクープの手伝いだ。それにしても本物のジャーナリストというのは凄いものだ。ケンやトーマスでさえビビッているのに、ましてやトレイシーは女だ。
  今回行くモラサン県は他の地域とは違うの。それだけは覚悟しといて。外国人のわれわれはここの人よりいくらか安全だったかもしれない。でもこの頃はこの国に来る旅行者も警戒されているわ。それにもう外国人の記者を含めて四〇人も記者が殺されてる。今年の三月には外国人記者三人が殺されたし、山へ近づけば危険は増すわ。以前チャラテナンゴでオランダの取材班四人が、ゲリラとの連絡役をしたと決めつけられて全員殺されてるの。私はこれまで何度か修羅場をくぐり抜けてきた。やばい時は笑顔がいい。笑ってる者は不思議と撃たないものよ。それに必要に応じて色気も使ってきたの。私一人の方が何かとやりやすいのはその点ね」
  そういえば色気はともかく、トレイシーは美人に見えなくもない。
「一度だけ本当に殺されるかと思ったことがあった。チャラテナンゴの山を一人で歩いていて軍の兵士に出くわしたの。その若い兵士は私を見つけるととんで来て私の腹部に銃口を押し付けたのよ。その男はブルブル震えていたわ。怖いのか、撃ちたくてしょうがないのか、もしかしたら彼自身、撃ってしまいそうな自分が怖かったのかもしれない。その時私はとっさに、頼むようにではなく、毅然としてその兵士が問いただす前に、私の方から彼にいろいろ質問したの。ああいう時は母親のように対応するのが一番よ」
  これは実践心理学だなぁと感心する。すると同時にそれが良い方法だったのかは疑問が残るが、現場を踏んだ彼女の言葉だから説得力はある。
「それからね、グアダルーペも一緒に行きたいって言うから連れて行くわ」
「なんだって、何を考えているんだ!もしかして僕らのカモフラージュにでも利用するつもりかい。ルーペ(グアダルーペの単称)はこの国の人間だ。彼女があそこの出身者なら里帰りとでも言えるけど、何でまた一番戦闘の激しいモラサンへなど来たんだって問われるよ。それによちよち歩きのガブリエラを連れて外国人の僕らと山へ入るのかい? 怪しすぎる、危険だよ」
  エル・サルバドル人は常に身分証明書を形態していなければならず、しょっちゅうバスから全員降ろされてチェックされる。先日など土砂降りのスコールの中でそれが行われていて気の毒に思った。
「それは私もわかってるわ。だからあなたの恋人ということにしたらどうかしら」
「そういう問題じゃない!誰が恋人を連れてあんなところに旅行するんだよ」
  だんだんと高めてきたモラサン行きの気概がしぼんでいく。まさに珍道中だ。
「許可なしで山へ入るのにエル・サルバドル人も外国人もないわ、見つかればつかまる前に撃たれる可能性の方が大きいんだから。それに先日、新聞で政治活動に関わろうとする外国人には、これより厳しく対処するという警告が出たばかりよ。あなたは日本人だから大丈夫ぐらいに思っているかもしれないけど、私が知ってる男性の話をしてあげる。その人とは昨年メキシコシティーの友情の家というユースホステルで知り合ったの。彼はあなたと同じ日本人よ。といっても実はブラジルの日系人。彼は医者で、この国のゲリラ側の地区に入り、村人を診ていたの。そして捕まり、外国の組織から送られた協力者として拷問を受けた。彼が言うには、その部屋にはネイティブの英語を喋るアメリカ人のCIAか、軍関係のプロフェッショナルがいて、拷問(アルゼンチン軍事政権からも五〇人を超える民衆弾圧、白色テロ、拷問のプロが軍事顧問団として、レーガン政権の要請で派遣される)の指揮をとったというわ。いろんな拷問を受け、しまいには電流を一方の極を歯に、もう一方を睾丸に付けられ,電流を流された。ついに自白しないとみるや、なにやら肺の機能が少しずつ弱くなっていく、白い薬を毎日飲まされたらしいの。その拷問者たちが聞くのは、おまえは北朝鮮の人間だろう?それとも日本赤軍か?と、執拗に問われ、言わないとみるや、そう言うんだと強制されたらしいわ。ちゃんとブラジルのパスポートを持っていたのに、どこで偽造したんだと信用しなかったの」
  僕は自分のパスポート(この頃)の最初のページに書かれている文章を思い出した。(このパスポートは朝鮮民主主義人民共和国を除くすべての国に有効であると認める)そんな日本人の僕が、いったいその国内で何をやってるのかさえ公表されない、国交のない国の人間にされたらたまったものではない。
「そしてね、体も弱って死を覚悟した頃、仲間から連絡を受けた国際赤十字に救出されて、その後メキシコに避難したというわけ。私が会った時は歯が抜け、肌はつやがなく、まるで死期の近い人のようだった。そして完全な性不能になってることを告白したの。肺の方も段々弱くなっていて、カナダにいい病院があるとかで、赤十字に協力してもらって連絡を待っているようだったわ。その後どうなったかは知らない」
  インポテンツという言葉が何故かおぞましく聞こえた。
「トレイシー、それ本当の話?」
「あなたを怖がらせるために、こんな話わざわざ作ると思ってるの。それからルーペの事だけど、やっぱり私は彼女の意志を尊重しようと思うの。彼女が行きたいと言うなら私は止めない。だって外国人に行けてこの国の人が行けないなんておかしいわよ」
  僕はこの時、ルーペの件がトレイシーの無計画さによるものではなく、僕らの文化の違いなのかもしれないと思った。堀江健一さんが小さなヨットで太平洋横断に挑戦しようとした時、日本政府は認めず、堀江さんはパスポートなし、密出国という形で出航するしかなかった。ただ前例がないからとか、安全を強調するだけではあの快挙はなかったのだ。今回のケースとちょっと違う気もするが・・・・・・。
  ビールを飲み干し、安全のために最善を尽くそう、と言って彼女に同意した。

 

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 大学へ行くとセルヒオがいて、四時から野党のリーダーで先日あの”死の部隊”に暗殺予告されている、ギジェルモ・ウンゴ氏の講演会があると言うので参加した。うまく聞き取れなかったのだがセルヒオの説明もあり、理解できたのは以下のような内容だった。
  保守(極右)政権の横暴と、北の巨人アメリカ合衆国の不当なてこ入れを非難し、多国籍企業とごく少数の富裕層による富の収奪から、いかに国民の生活を護るか。
  公正な選挙が行われていない現状において、全ての社会勢力が結集していかに改革をすすめるか、ということ。学生や知識人の社会的な役割、中米地域におけるエル・サルバドルの社会改革の意義など、を話していたと思う。
  そして学生や参加者との質疑応答で講演は活気づき、何かの話の中で氏は、そこにいた欧米人や僕を指し、外国人の共感に感謝すると言い、みんなと拍手をしてくれたのであった。
  講演も終わりに近づいたと思われる頃、突然大きな爆発音が二度あり、その後パキパキパキと銃撃戦が始まった。僕はビックリしたのだが、みんなけっこう落ち着いている。校内放送が聞こえて、音がするのと反対側の出口、正門の方から、落ち着いて速やかに退校するように放送がある。セルヒオに聞くと大学の敷地内ではなく、正門と反対側に隣接する兵営に、都市ゲリラが攻撃を仕掛けて銃撃戦が始まったと言う。流れ弾があるかもしれないので、みんな引き上げる。セルヒオと一杯やりたかったが、このあと道路が封鎖され、交通渋滞になるので残念だがまたにする。
  例によってひどい交通事情のもと、なんとかホテルに帰り着くと、番頭のチェぺ(ホセの愛称、ぺぺとも)が、にやつきながらセニョリータが待っていると言う。二階の奥の休憩場の椅子に座ってレイナが待っていた。
「お帰りなさいハポネシート(日本人の愛称)。ここだって言ってたから来てみたの、昨日はごめんなさい!」
と言って来れなかったわけを話しだした。
  昨日の朝、首都のはずれにある、伯母の家に同居しているレイナのおばあさんが、病気になって、彼女に会いたがってると突然連絡があった。それで大急ぎで出発して僕に連絡も出来なかった。ということらしい。僕が黙っているのを見て、怒っているのねと何度も聞く。チェぺの視線が気になるので、まだ暗くないし公園に行くことにした。
「本当にごめんなさい、おばあちゃんとこ行ってもずっと気になってたの。気が気じゃなかったのよ。怒って当然だわ、私だってとても残念だった。せっかく休めたのにあなたと逢えないなんて、どんなに楽しみにしてたか」
「バカだなあ、そんな大事な用なら謝らなくていいよ。怒ってなんかいないよ、本当に。それよりおばあちゃんの具合どうなの?」
「私はおばあちゃんの病気を呪ったものよ。でも着いた時は本当に具合悪くてびっくりしたの。それでもいつも行く行くって言ってばかりの私が来たのを見て、おばあちゃんとても喜んでくれて、それから随分良くなったのよ。伯母達も感心してた。信じられる?」
「信じるさ、だってレイナは周りの人を元気にするんだから。本当にいいことをしたね。心配したけどよかったよ」
「えっ、まさか私のこと心配してくれてたの?ほんとうに?」
「当たり前じゃないか」
「・・・・・・私のこと心配してくれる人がこの世にいるなんて」
「バカだね、おばあちゃんだって、そうだから会いたがってたんじゃないか。それにね、君が追い出されたと思ってるお父さんだって、きっと心配でしょうがないに決まってるよ」
「そうかしら」
「自分の経験から分かるんだ。高校生の時にね、親父と喧嘩して家出したことがあって、あの憎たらしい親父が一睡も出来なかったんだって。前から言おうと思ってたんだけど、両親に連絡とるべきだ」
「でも今の私には、何もない」
「なんだって、そんなこと何の関係もないよ。それにとんでもない勘違いだよ。例えば僕がレイナからどれだけのことを学んだと思ってるんだ。元気ももらってるしね、嘘じゃない」
「私から?こんな私が誰かに何かを教えることが出来るですって、人を元気にしたり?」
「そう、だからもう自分のことを卑下するのは今日で終わりにしよう。今度また同じことを言ったらひっぱたくよ」
「ありがとう・・・・・・。あのね、おばあちゃんがね、私が前より明るくなったって。元気になったって。そして大人になったっていうの。もしかしてあなたのせいかな」
  そうだとしたらどんなに嬉しいことか。僕こそ、日本に帰れば社会復帰もむずかしい何の取り柄もない男なのだ。そんな僕が地球の反対側に住む(罪と罰)のソーニャのような娘に、幾ばくかの元気を与えられたとしたら・・・・・・。世界を変える力なんてかけらもない男には、ちっちゃいけどこんな充実した歓びはないのだ。僕はこの国に来て初めて幸福を感じていた。
  レイナが少し怒った顔つきをして突然言った。
「さっき私に、ひっぱたくって言ったわよね」
「いや、あれは、なんていうか、たとえばの話で、つまり、本心じゃないんだ」
「ねえ知ってる?全然怖くなかった。ふふふ」  


                                                 つづく        
 

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