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2017年10月15日日曜日

Me perdi en el Eden 小説



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 トレイシーが参謀本部に許可をもらいに行ってる間、僕がルーペに明日の出発の準備が出来てるか確認に行くことになった。もしかしたらルーペの頭の中にモラサンがユートピアのようなものに映っていたとしたら・・・・・・それはないか。行きたいならしょうがない。どうせ荷物は僕が持つか、それともガブリエラを僕が背負って行くかになるだろう。んっ!もしかして両方?とにかく荷物はコンパクトにしてもらおう。
  セントロの賑やかな通りから裏通りに入った、教えられた所にルーペが働く店はあった。夕方になると、この辺りの店に薄暗いネオンが灯る。店の前では女やオカマ達がお喋りしていた。ルーペが居るか聞いて中へ入った。彼女の小さな娘、ガブリエラが小走りにやって来た。刑務所にいるオスカルの仲間を彼らと一緒に訪問したとき、木陰でオシッコさせてやったのを覚えていてくれたようだ。まだ早い時間で客はいない。ルーペが奥から出てきて
「あら、来てくれたのね」
と、冷たいビールを出してくれた。テーブルに座り、さっそく用件を伝えるとどうも様子がおかしい。ルーペはしきりに右の肋骨の辺りをかばっている。
「どうしたの、どこか具合悪いの?」
「実はおととい私服の警察達がやって来て、罰金だと言って賄賂を要求されたの。私達は払わなかったんだけど、そしたら(オカマの)サンドラとグロリアが殴られたの。それで私とマリソルも止めようとしたら、私は胸の下を蹴られ、マリソルは連れて行かれたの。以前からたまに来て賄賂を取ったり、ただで飲んだりしていたんだけど、新政権になってからちょくちょく来るようになったの。私達もそんなに払えないから」 店頭のオカマの顔にあざが出来ている理由がわかった。マリソルはまだ戻ってなくて、今回は長引くかもしれないという。金が払えない時は体で払わされることもあって、それが今回マリソルなのかもしれない。ルーペもこれまでに、二度連れて行かれたことがあるらしい。潜在失業率六〇%と言われるこの国で、体を売るしかないルーペ達から、法をかざし賄賂をせびり暴力を振るう。
 他の言語は知らないが、英語やスペイン語のスラングでどうしても好きになれないのがある。ビッチやプータといった娼婦を表わす言葉の組み合わせだ。
「ふとし、ごめんなさい、私やっぱりここに残るわ。山へは行けない。こんなわけで人も足りないし、マリソルのことも心配なの。次の機会がもしあるなら、その時ぜひ行きたいと思う」
  ガブリエラを膝に乗せながら見つめる表情は、どこか宗教画のマリアに似ている。穢れや私欲がなく、ちゃんと教育を受けたらおそらくそれなりの立場ある仕事に就けただろう。彼女は問題意識が強く、暇を見つけてはオスカル達と一緒に女性(政治犯)刑務所を訪問したり,トレイシーや記者たちの話をいつも興味深く聞いている。
「かまわないよ、気にすることない。トレイシーには僕から事情を説明しとく。それより医者にみせたの? 痛そうだけど」
「大丈夫、ただの打撲よ、湿布貼ったから、休んでもいられないし」
「ルーペ、一つ聞いていいかなぁ」
「なあに、いいわよ」
「ルーペはどうしてモラサンに行きたかったの」
  彼女は少し考えをまとめるように時間をとってから言った。
「モラサンのゲリラ側には入れたら、そこにこの子と残ってやり直そうと思ったの。あっちの生活が楽じゃなくて危険だとは思うけど、そうしたかったの。ねえ、もし山へ行けたらあっちの様子を教えて」
「もちろんだよ。絶対に帰ってきてここへ寄るよ。ガブリエラにも会いたいしね」
  オカマのグロリアが、私もビール欲しいって言うので奢ってあげて、それからは艶っぽい話になった。そうこうしていると、ちらほら客が入って来て飲みだしたので、おいとますることにした。店を出る前にトイレを借りた。奥にあるトイレに行く通路の脇にはカーテンで仕切られた小部屋がいくつかあって、赤い小さな電球の、弱い灯りが少し開いたカーテンの隙間から漏れていた。ここで客の相手をするのだろうが、ルーペとガブリエラはここで寝泊りしているという。ガブリエラは昼間、店中走り回って顔まで汚れている。
  この子がもう少し大きくなったら、この環境はどう映るだろう。ルーペにアパートを借りる余裕などない。そしてガブリエラは少しずつこの世界が見え始めている。ルーペの話だと恐そうな男が来ると、ママ、ポリシア(警察)、ポリシア!と言って怯えて跳び付いてくると言うのだ。ガブリエラを抱え揚げると、その小さな兎口の唇で頬にお別れのキスしてくれた。

 

               ⒖

 

  朝、ホテルから荷物をトレイシーのアパートへ移す。クリスも居ない間の留守番を兼ね引っ越す。ねぼすけのトレイシーも今朝は起きていて、三人でコーヒーを淹れて簡単な朝食をとる。なんといってもコーヒーは、グァテマラ、エル・サルバドルの中米と、コロンビアのものが僕のお気に入りだが、ここへ来るまで、それがどうやって生産されるのか、誰がくそ暑い中で働き、誰の懐に利益が転がり込むのか考えもしなかった。それはエル・サルバドル、それにコーヒーに限ったことでもない。 多国籍企業と途上国の関係、貧富の問題の解説も、毎日、次から次に吐き出される、世界のいたる処で起きている戦争や弾圧の報道も、遠く離れた国に住む人間にとっては、ただ消化され排泄されるもの。その瞬間、同情や憤りを覚えても、いつの間にか忘れてしまう。どこか忙しい朝の排便行為に非ずとも似ている。 自分の生活に関わる、税金や保険料が上がるというようなニュースだけを記憶し、知らない国で起きていることなど、僕だけでなく大方の人間には、記憶の図書館の片隅に放り置かれてほこりを被るだけだろう。
 僕は何を求めて山へ行くのか、自分の中でなんの総括もされていない。トレイシーはジャーナリスト。クリスは帰国して論文でも書くだろう。だが僕はただの旅行者のままであることに今更ながら気付くのだ。それならそれでいい、僕は旅をしているんだ。ガイドブックでお決まりの旅行が嫌だからこういう形になったけど、これが僕の“地球の歩き方”ならぬ迷い方なんだ。いや形などないから旅なのだとコーヒーを飲み干す。
 クリスに残りの荷物と持ち金の半分を預け、僕らはバスターミナルに向かった。そこでホテルで見かけたドイツ人に出会った。
「いやー、昨日は大変だったよ!チャラテナンゴ(ゲリラ戦の始まった地域)の友人に、もしかしたら会えるかと訪ねて行ったんだけど、途中で軍の検問で引っ張り降ろされて、そのうえクアルテル(兵営)に連れて行かれて、二時間も尋問されたよ。結局会えなかったけど、まったく外国人はみんなゲリラのシンパと思ってるんだから。ほんとに恐かったよ。ちょうど新聞で拷問に関する記事を見た後だったし、なお更ね」
  話によると実際彼はゲリラの共感者で、その友人に会いに行ったと言うのだからしょうがない。彼はパスポートを二つ持っているという。今ニカラグア人と結婚して、ニカラグアに住んでいる。結婚したばかりなのに、もう子供が二人いる。その子供達はコントラ(ニカラグア革命後ホンジェラス側国境からアメリカの支援を受けてニカラグアに攻撃を仕掛ける旧政府勢力)に殺されたニカラグア人の子供を養子にしたという。もしも、もう一方のパスポートを持っていたらやばかっただろう。
  そういえばアメリカ人旅行者のケリーも、チャラテナンゴ近くで危うく逮捕されそうになり、自分は君達の持ってるその武器を供給している、アメリカ合衆国の国民だと何度も繰り返し、難を逃れたということだった。(ちなみにケリーはクリスに好感を持ってる女性に気があって、クリスをCIAだと言って問題を起こし謝罪なしで出国)
  今激戦区はチャラテナンゴからモラサンに移っている。ドイツ人の彼は住所を教えてくれ、ニカラグアに来たらぜひ訪ねて来てくれと言ってくれた。二メートルくらいある巨人の彼と別れの握手をすると手がしびれる。そんな彼が怖かったと言うので余計怖くなる。
  サン・サルバドルからサン・ミゲルまで南東にバスで三時間、バスを乗り換えてサン・フランシスコ・ゴテラまで一時間半、この道程が焼きつくように暑い。バスの中はぎっしり混んでいる。予定ではここまでたどり着いて、ここの参謀本部によって、大佐に首都の参謀本部でもらった許可証を見せなければならない。そして大佐がOKを出してはじめてオシカラ村まで行けるというわけだ。
  ところが、ゴテラに着いた時、トレイシーはどうした心境の変化か、このままオシカラまで行ってしまおうと言う。どうしてだと問うと、一つは今のモラサンの状況からして、ひょっとしたらここで足止めをくう可能性があること。もう一つはこれまでの経験からしても、ゲリラ側のテリトリーに入る許可が出ることは、ほぼ有り得ない。それならノーマークでオシカラまで行き、軍の警備が薄いところを探してそのまま村を出てしまおう。そしてFMLN側の前線の村、ペルキン目指して歩き続けようと言うのだ。そんなわけで可能性の大きい方を選択することになったのだが、僕はただトレイシーの無謀な決定に従ったというに過ぎない。いつも大胆不敵なトレイシーのことながら、彼女の横顔にこれまでに見たことのない迷いが見られるのが気になるのだった。
  サン・フランシスコ・ゴテラのバスターミナルに着くやいなや、本数の少ないオシカラへ向かう出発まぎわのバスを見つけ飛び乗った。このバスは首都からのそれに比べると一回り小型で、やはり混んでいて座る席もないので、トレイシーを乗客がつめてくれた座席に座らせて、僕は少年達と一緒にバスの屋根に登った。本来は荷物を載せるところで、バスの外部後ろにはしごが付いている。
  街を出て山道に入る。まだ日射しは強いが、バスがスピードを上げると風が生まれ気持ちいい。ゴテラまでは、窓を開けっ放して入ってくる熱い風で凌ぐしかなかった。熱中症寸前の、ここまでの道のりで失われた体力を回復しなければと一息つく。バスは緩やかな坂道をエンジンを唸らせながら走っていく。落ちないようにつかまって座り、オシカラに着いてからの事をしばらく考えていると、カーブを回ったバスの前方に突然、迷彩色の軍服を着て、肩や首から自動小銃を吊るした十数名の兵士の一団が現れた。
  検問だ。全員降ろされ、道路の脇に並ばされる。乗客は言われる前から身分証明書を出して兵士に見せている。僕らもパスポート、記者証、そして首都の参謀本部でもらった通行許可証を見せる。別の兵士たちは車内に入って、全員の荷物、それからシートの下まで、念入りに調べている。僕とトレイシーの通行許可証をチェックしていた兵士が、車内の兵士に僕らの荷物を持って来るように言う。そしてバッグの中の物をすべて道路に出し調べだした。もちろんあやしい物など持って来てないが、トレイシーの二台のニコンのカメラを手に取って調べだした時、すでにバスに戻っていた乗客達の視線がカメラと僕らに集まった。早く仕舞ってほしいと思う。僕らの印象が、オシカラ村に帰る乗客たちに残ると、着いてからの行動もやりにくくなる。あるいはそんな心配も意味なく、ここから追い返されるのだろうか。
  兵士の中でも上官らしい数人が通行許可証と僕らに視線を振る。追い返されるだけではすまない状況なのかもしれない。長引くと許可証の不備がばれる可能性がある。いやもうばれたのだろうか。ここは機転を利かせて何か言った方が良くないだろうかと、トレイシーに目配せする。すると彼女はにこやかに
「みんな待ってるから早くしましょうね、参謀本部の通行許可証はごらんになった?」
と落ち着いて言った。
「うーん、よし、いいだろう、荷物をまとめて乗りたまえ」
  うまくいったではないか!僕は気の変わらぬうちにと、急いで出てるものをバッグに収め、バスに戻ると乗客達も良かったねという視線で迎えてくれた。バスが走り出してからトレイシーに、どうしてばれなかったのかと聞くと
「あのクラスまでの兵士には、オシカラ村までの通行許可証ということは理解出来ても、そのためにサン・フランシスコ・ゴテラで許可をもらわなければならないということはわからないのよ」
と、想定の範囲内という表情で答える。それならそうと言っといてくれればいいのにと思いながらまた屋根に上り,着いたら着いたでどうなることやらともう考えるのも止めた。標高も上がり少し涼しくなって,少年達がもうすぐだよと教えてくれた時、もう一度検問にあう。そして一度目より厳しいチェックにもかかわらずこれもパスして、ついにオシカラ村までたどり着いたのだった。


                                                                          つづく


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